燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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菊の花は、九の花とも言う。重陽には、高貴な家やお金持ちの家々の軒先には何百という菊の鉢が飾られる。小山のように飾られたものを菊山、プリズム型に飾られたものを菊の塔という。
『日下旧聞考』によると
『陳理詩注』には、今の菊山を「花城」といったと書かれている。都の菊の種類はとても多い。古種、新種、雑種、純種がある。
蜜連環、銀紅針、桃花扇、方金印、老君眉などは古種の中の純種だ。
大紅寶珠、金連環、金霞環、大金葵、滲金葵などは古種の中の雑種だ。
銀虎鬚、墨虎鬚、金鳳含珠、漢宮春暁、天半朱霞などは新種の中の純種。
金仏座、金鈎掛玉、金辺大紅、玉堂金馬、紫綬金章などは新種の中の雑種だ。
すべてで百三十三種あるが、これが私の記憶している種類だ。その他二百以上の種類があるといわれているが、暇を見て菊の系譜を作ってみたいものだ。
と書かれている。
菊花いろいろ
武漢で行われている菊花展覧会から...
中国菊花精品展在武汉植物园开幕
『日下旧聞考』によると
『陳理詩注』には、今の菊山を「花城」といったと書かれている。都の菊の種類はとても多い。古種、新種、雑種、純種がある。
蜜連環、銀紅針、桃花扇、方金印、老君眉などは古種の中の純種だ。
大紅寶珠、金連環、金霞環、大金葵、滲金葵などは古種の中の雑種だ。
銀虎鬚、墨虎鬚、金鳳含珠、漢宮春暁、天半朱霞などは新種の中の純種。
金仏座、金鈎掛玉、金辺大紅、玉堂金馬、紫綬金章などは新種の中の雑種だ。
すべてで百三十三種あるが、これが私の記憶している種類だ。その他二百以上の種類があるといわれているが、暇を見て菊の系譜を作ってみたいものだ。
と書かれている。
訳注:
菊花いろいろ
武漢で行われている菊花展覧会から...
中国菊花精品展在武汉植物园开幕
2011/09/30 初稿
2015/11/12 画像追加
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財神廟は彰儀門外にある。毎年九月十五日から三日間のご開帳がある。お参りにやってくるのは、梨園の子弟、遊郭の遊女が多い。貴族の物好きなものも籠に乗ってやって来る。
彰儀門とは、広安門のことだ。
彰儀門とは、広安門のことだ。
重陽に、蟹の糟漬けで良郷酒を飲むのが最高だ。良郷酒はもともと良郷の酒だが、このごろでは都でも作られるようになった。良郷酒は芳醇で、これを飲めば心地よくなる。しかし暑さに弱く、夏を越すことができない。洋梨は、梨の一種で、形はマルメロの形、色はアヒルの雛のような色をしている。そのため「鴨児廣」ともいうが、廣は黄のこと。柿とサンザシは多くの需要があるが、都の季節の風物だ。
『寄園寄所寄』と言う書物にはこんなことが書いてある。
明の太祖がまだ身分が低かったころ、二日間食事も出来ずに、従うものもなくただ一人剰柴村を通りかかった。そこには見捨てられた庭園があった。すべて兵卒によって焼き払われ、塀も壊れ、樹木も痛んでいた。太祖は寂しく、あたりを見渡した。見ると、庭のすみに一本の柿木があって、柿の実が熟していた。太祖はこれを取って食べた。十個も食べるとお腹も満たされながらも、心痛めてこの地を去った。1355年、あたりを平定した際この地を通りかかったところ、まだその柿の木は残っていた。太祖はその木を指差し人々に、その柿の木について話して聞かせた。そして馬から下り、赤い上着をその木に与え「汝を凌霜侯に封ずる」と仰せになった。
柿木の、君主に対する功績だ。これをここに記しておきたい。ほかにも記載があるが、この柿木の幸運をたたえているのだ。
『寄園寄所寄』と言う書物にはこんなことが書いてある。
明の太祖がまだ身分が低かったころ、二日間食事も出来ずに、従うものもなくただ一人剰柴村を通りかかった。そこには見捨てられた庭園があった。すべて兵卒によって焼き払われ、塀も壊れ、樹木も痛んでいた。太祖は寂しく、あたりを見渡した。見ると、庭のすみに一本の柿木があって、柿の実が熟していた。太祖はこれを取って食べた。十個も食べるとお腹も満たされながらも、心痛めてこの地を去った。1355年、あたりを平定した際この地を通りかかったところ、まだその柿の木は残っていた。太祖はその木を指差し人々に、その柿の木について話して聞かせた。そして馬から下り、赤い上着をその木に与え「汝を凌霜侯に封ずる」と仰せになった。
柿木の、君主に対する功績だ。これをここに記しておきたい。ほかにも記載があるが、この柿木の幸運をたたえているのだ。
花菓子には二つの種類がある。
一つは、小麦粉と砂糖で作ったもので、間に果物をはさみ、二段か三段重ねになっているもの。これは花菓子の上等なものだ。
もう一つは、蒸した餅の上にたくさんの棗や栗を飾ったもの。これは二級品。
重陽のために菓子屋ではあらかじめ作っておいて、これらを売りに出す。
『析津志』には
九月九日、都の人は小麦粉で菓子を作り、それを重陽の贈り物にする。また巷では莚の上に並べて売られた。
と書かれていて、現在と同じだった様子がうかがえる。
『帝京景物略』には
小麦粉で作った餅の上に棗や栗を星の如く並べたものを花菓子という。この菓子を売る店は華やかな旗を立てて看板とした。嫁に出した娘が家に帰り両親と共にこれを食べる習慣があったので、女の節句ともいう。
と書いている。今は、華やかな旗を立てて看板とする習慣も、嫁に行った娘が帰ってきて一緒にこれを食べる習慣もなく、意味合いは変わっている。
一つは、小麦粉と砂糖で作ったもので、間に果物をはさみ、二段か三段重ねになっているもの。これは花菓子の上等なものだ。
もう一つは、蒸した餅の上にたくさんの棗や栗を飾ったもの。これは二級品。
重陽のために菓子屋ではあらかじめ作っておいて、これらを売りに出す。
『析津志』には
九月九日、都の人は小麦粉で菓子を作り、それを重陽の贈り物にする。また巷では莚の上に並べて売られた。
と書かれていて、現在と同じだった様子がうかがえる。
『帝京景物略』には
小麦粉で作った餅の上に棗や栗を星の如く並べたものを花菓子という。この菓子を売る店は華やかな旗を立てて看板とした。嫁に出した娘が家に帰り両親と共にこれを食べる習慣があったので、女の節句ともいう。
と書いている。今は、華やかな旗を立てて看板とする習慣も、嫁に行った娘が帰ってきて一緒にこれを食べる習慣もなく、意味合いは変わっている。
釣魚台は阜成門外1.5kmにある。南向きに行宮がある。例年重陽には都の少年達が集まり競馬をする。普通、ここは望海楼と呼ばれている。
『日下旧聞考』によれば、
釣魚台は三里河の西北の方、500mのところにある。金の天子が遊んだところである。釣魚台の前には泉水が沸き、一年中涸れることがない。西山山麓から流れ出る川の水がすべてここに集まるのだ。元の時代、ここは玉淵潭といい、丁氏の庭園であった。清の乾隆二十八年あたりを掘って香山から新たに水を引き湖をつくった。また水量調節のための水門を設た。湖の水と、ここで合流した河の水は、三里河から阜成門に至り、北京のお堀の水となっている。乾隆三十九年、初めて台座の修築が行われ、皇帝自ら「釣魚台」の文字を書き、西側に飾った。
と記されている。
皇帝が西陵に参るときと御苑から出向き天壇で祭祀を執り行うときにはここでいつも朝食をとった。台座の左手は養源斎、瀟碧亭などがすばらしい景色をかもし出している。
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訳注:
釣魚台:現在は、中国の国賓を迎える迎賓館の別称のようになっています。
『日下旧聞考』によれば、
釣魚台は三里河の西北の方、500mのところにある。金の天子が遊んだところである。釣魚台の前には泉水が沸き、一年中涸れることがない。西山山麓から流れ出る川の水がすべてここに集まるのだ。元の時代、ここは玉淵潭といい、丁氏の庭園であった。清の乾隆二十八年あたりを掘って香山から新たに水を引き湖をつくった。また水量調節のための水門を設た。湖の水と、ここで合流した河の水は、三里河から阜成門に至り、北京のお堀の水となっている。乾隆三十九年、初めて台座の修築が行われ、皇帝自ら「釣魚台」の文字を書き、西側に飾った。
と記されている。
皇帝が西陵に参るときと御苑から出向き天壇で祭祀を執り行うときにはここでいつも朝食をとった。台座の左手は養源斎、瀟碧亭などがすばらしい景色をかもし出している。
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訳注:
釣魚台:現在は、中国の国賓を迎える迎賓館の別称のようになっています。