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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「絵売りの小屋」(燕京歳時記)

毎年十二月になると、にぎわっている地域では莚小屋を作り、おめでたい絵(年賀)が売られる。
女子供は競うようにそれを買う。
これがまた年末に華やぎを添える。

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「門神」(燕京歳時記)

門神はみな、甲冑をまとい、矛を持ち、弓を懸け、剣を差している。
この神々は伝説の神荼(しんと)と鬱壘(うつるい)だとか、秦瓊(しんけい)と尉遅敬徳(うつちけいとく)だとかいわれているが、実際はそうではない。
これらは門神なのだ。
そもそも門は家中で祭らなくてはいけない「五祀」の筆頭で、門神は邪神ではないのだ。
都の人達は、門神を神であるといいながら、特別に祭っていないので、実際の門神の意味をなくしているといえる。
「春節を迎えるめでたい対句の張り紙・春聯」(燕京歳時記)

春聯とは、昔「桃符」といった、それである。十二月になると文人や書道家達が商店の軒下で春聯を書いて、書き賃を稼ぐ姿が見られる。

竈の神の祭りのあと、春聯を貼り始め、町全体の家々の門が見違えるようになる。
朱色や紅色の神にかかれるのが一般的だが、宮中や皇族方は赤や青の縁取りされたの白い紙を用いるのが習慣となっている。この白い紙は皇族方以外使うことが出来ない。

「竈の神を祭る」(燕京歳時記)

二十三日は竈の神様のお祭りだ。昔は祭りに黄羊を使ったといい、現在でも宮中では用いられていると聞くが、一般にそう言った習慣はなくなった。
一般には南糖、関東糖、糖餅などという飴菓子と清水、草、豆を供える。
糖、つまり飴菓子は神を祭るために、神馬に供えられる。
祭りを執り行った後、竈の神の姿絵ははずされ、神が乗るための車や馬の絵や紙製のお金と一緒に焼かれる。
大晦日には新たに竈の神を迎え、祭りをする。
都では竈の神の祭りでは多くの爆竹が鳴らされ、俗に年越しの前祝と言われる。

『日下旧聞考』には
都では竈の神の祭りを古くからの風習通りに執り行っている。女性がこの祭りを執り行うことは禁じられている。この祭りの日は二十三日だが、北京在住の南方出身の人達は二十四日に行っている。このことは劉どうの『帝京景物略』の内容とおなじだ。

と書かれている。


---訳注---

中国では、男性は月を拝まず、女性はかまどを祭らず...と言う言葉があり、
竈の神様を祭る行事は、男性が執り行います
「家塾のお休み」(燕京歳時記)

仕事納めの後、先生が私塾や家塾を閉めるので、勉強をしている子供達も授業がなくなる。
いわゆる年末のお休みとなる。

---訳注---

日本でいうところの冬休み... といったところ。
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