燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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10月23日の重陽のお節句にむけて菊花酒を作ってみませんか?
2~3日でできますから。20日ごろに準備でOKです。
材料
白菊花(漢方薬などに用いる菊) 50g
この菊は、カモミールのような感じです。
度数の低いお酒 500ml
もともと菊花酒はお米と菊の花で作ったらしいので、
簡易版として、お米のお酒=日本酒で代用しましょう。
作り方
乾燥した白菊花をさらしの袋に入れてお酒に浸します。
2~3日でしたら出来上がり。
菊を肴にお楽しみください。
2~3日でできますから。20日ごろに準備でOKです。
材料
白菊花(漢方薬などに用いる菊) 50g
この菊は、カモミールのような感じです。
度数の低いお酒 500ml
もともと菊花酒はお米と菊の花で作ったらしいので、
簡易版として、お米のお酒=日本酒で代用しましょう。
作り方
乾燥した白菊花をさらしの袋に入れてお酒に浸します。
2~3日でしたら出来上がり。
菊を肴にお楽しみください。
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まもなく中秋節です。
今年は、中国風に、お祝いしてみませんか?
参考までに、中国のお金持ちの家庭のお月見の様子です。
まず祭壇です。
日本では縁側に、小さなテーブルを出して、
お団子やら、果物やら、ススキやらをお供えしますが、
中国の場合、祭壇を構えます。
「月光馬児」という絵や、「月児爺」を飾ります。
そして、お供え物です
日本では、ススキを飾りますが、清の後宮風では鶏頭を飾りましたので、ぜひ、鶏頭を飾ってみてください。
お団子のかわりは月餅です。特に中に黄身が丸ごと入った「蛋黄月餅」というのもいいですね。
ちなみに北京風と目指すなら、いやというぐらい甘くて、カチカチの月餅が、伝統的な月餅という気がします。
中には、いろいろな木の実が入ったもの(五仁)がいいでしょうか...
梨や、葡萄や、丸い果物を供えますが、それは枝豆、サトイモ、落花生、ダイコン、レンコンなどにしてみてください。
ちなみに、大根は、日本のあの細長いのではなく、ちょっとゴロンとしたタイプの大根です。
そうやって、お月様を祭って、お祈りをしますが、それを行うのは女子供のみ。
男性は月を祭りません。
(そのかわり、男性は冬、かまどを祭りますが、女性はかまどを祭りません)
(うえの絵でも、男性は、端で見ているだけです)
夜は、帰省した家族とともに一家団欒の食卓を囲みます。
とはいっても、夜は、満月にあやかって家族団らんの大宴会
季節の風味上海蟹があったらなおよし!
いかがでしょうか?
今年は、中国風に、お祝いしてみませんか?
参考までに、中国のお金持ちの家庭のお月見の様子です。
まず祭壇です。
日本では縁側に、小さなテーブルを出して、
お団子やら、果物やら、ススキやらをお供えしますが、
中国の場合、祭壇を構えます。
「月光馬児」という絵や、「月児爺」を飾ります。
そして、お供え物です
日本では、ススキを飾りますが、清の後宮風では鶏頭を飾りましたので、ぜひ、鶏頭を飾ってみてください。
お団子のかわりは月餅です。特に中に黄身が丸ごと入った「蛋黄月餅」というのもいいですね。
ちなみに北京風と目指すなら、いやというぐらい甘くて、カチカチの月餅が、伝統的な月餅という気がします。
中には、いろいろな木の実が入ったもの(五仁)がいいでしょうか...
梨や、葡萄や、丸い果物を供えますが、それは枝豆、サトイモ、落花生、ダイコン、レンコンなどにしてみてください。
ちなみに、大根は、日本のあの細長いのではなく、ちょっとゴロンとしたタイプの大根です。
そうやって、お月様を祭って、お祈りをしますが、それを行うのは女子供のみ。
男性は月を祭りません。
(そのかわり、男性は冬、かまどを祭りますが、女性はかまどを祭りません)
(うえの絵でも、男性は、端で見ているだけです)
夜は、帰省した家族とともに一家団欒の食卓を囲みます。
とはいっても、夜は、満月にあやかって家族団らんの大宴会
季節の風味上海蟹があったらなおよし!
いかがでしょうか?
2012年6月6日は21世紀最後の金星の太陽面通過の日です。
それを意識して本を見ていたのではないのですが、
なんと清朝末期に金星の太陽面通過を観測している絵が出てきました。
これは清末に発行されていた、写真週刊誌ならなぬ、月3回(六の日)に発行されていた絵入り新聞「点石斎画報」です。
その光緒十二年十一月六日発行の記事に「占験天文」という記事があり、
これを読んでみると
京師同文館の天文学部が予測したところによると、光緒十二年十月八日午後三時に金星の太陽面通過があるとわかり
役所に高台を設け、観測機器を設置、教官が学生を引率、大臣らを招いて観測した
とありました。
写真の高い塔が、設置した高台で、高台の上に望遠鏡が3台置かれています。
望遠鏡を覗いている黒い洋装の人と、もう一人背の高い洋装の人が教官でしょう。
京師同文館は外交を担当する役所である総理各国事務衙門の管轄化にあり、
ヨーロッパ言語を学ぶのを目的として設立され、その後、語学以外の学問も学べるようになりました。
中国の官服を着た恰幅の良い人は大臣でしょう。
もうひとり背中を向けている人は高級官僚でしょうか....
端に入る二人は学生のように見えます。
そして太陽の左下横に小さく金星が....
すごいなぁ.... 100年以上前の金星太陽面通過の観測の絵だ!!!
と感激しましたのですが、
ふと、「点石斎画報」だからなぁ....あやしいよなぁ.... と思い
光緒十二年十月八日を新旧換算したところ1886年11月3日。
え???11月?12月じゃないっておかしいじゃない...
そうなんです。先日金星の太陽面通過について調べたとき、
6月か12月にしか起きないんだ.... と感心したのでした。
再チェックしてみたところ、前回は2004年6月8日で、その前は1882年12月6日。
1882年12月6日って? 光緒八年十月二十六日....
ってことは、「点石斎画報」はまだ創刊前じゃない... (創刊は光緒十年1884年)
ほとんど?が眉唾物の記事だ!ということを再確認いたしました。
でも、記事の中に「星の太陽面通過」と書いてあるし、
その観測の図となんだから.... とご紹介することにします。
それを意識して本を見ていたのではないのですが、
なんと清朝末期に金星の太陽面通過を観測している絵が出てきました。
これは清末に発行されていた、写真週刊誌ならなぬ、月3回(六の日)に発行されていた絵入り新聞「点石斎画報」です。
その光緒十二年十一月六日発行の記事に「占験天文」という記事があり、
これを読んでみると
京師同文館の天文学部が予測したところによると、光緒十二年十月八日午後三時に金星の太陽面通過があるとわかり
役所に高台を設け、観測機器を設置、教官が学生を引率、大臣らを招いて観測した
とありました。
写真の高い塔が、設置した高台で、高台の上に望遠鏡が3台置かれています。
望遠鏡を覗いている黒い洋装の人と、もう一人背の高い洋装の人が教官でしょう。
京師同文館は外交を担当する役所である総理各国事務衙門の管轄化にあり、
ヨーロッパ言語を学ぶのを目的として設立され、その後、語学以外の学問も学べるようになりました。
中国の官服を着た恰幅の良い人は大臣でしょう。
もうひとり背中を向けている人は高級官僚でしょうか....
端に入る二人は学生のように見えます。
そして太陽の左下横に小さく金星が....
すごいなぁ.... 100年以上前の金星太陽面通過の観測の絵だ!!!
と感激しましたのですが、
ふと、「点石斎画報」だからなぁ....あやしいよなぁ.... と思い
光緒十二年十月八日を新旧換算したところ1886年11月3日。
え???11月?12月じゃないっておかしいじゃない...
そうなんです。先日金星の太陽面通過について調べたとき、
6月か12月にしか起きないんだ.... と感心したのでした。
再チェックしてみたところ、前回は2004年6月8日で、その前は1882年12月6日。
1882年12月6日って? 光緒八年十月二十六日....
ってことは、「点石斎画報」はまだ創刊前じゃない... (創刊は光緒十年1884年)
ほとんど?が眉唾物の記事だ!ということを再確認いたしました。
でも、記事の中に「星の太陽面通過」と書いてあるし、
その観測の図となんだから.... とご紹介することにします。
官服の官位のデザイン
清の時代の官服は「大清会典」というさまざまな規則についての書籍があり、
その中でさまざまな規定がされていました。
今回はそのなかで、日本で言ったら羽織になるでしょうか、一番上に着る「補服」についている官位を示す「補子」について説明します。
(官服については、メインサイトで紹介していますので、そちらをご覧ください 朝袍 臣下編)
官服の一番上に着る「補服」胸の部分には文武官位が明白な刺繍が施されていました。
この胸の刺繍は、文官が鳥類、武官が獣類、そして官位によりそれぞれ描かれている動物が違います。
そのため、着用している人の文武官位が一目瞭然になっています。
文官
武官
中国の清の時代のドラマなどでよく見かけますので、ご参考にしてみてください。
(画像をクリックすると、写真が拡大されます)
清の時代の官服は「大清会典」というさまざまな規則についての書籍があり、
その中でさまざまな規定がされていました。
今回はそのなかで、日本で言ったら羽織になるでしょうか、一番上に着る「補服」についている官位を示す「補子」について説明します。
(官服については、メインサイトで紹介していますので、そちらをご覧ください 朝袍 臣下編)
官服の一番上に着る「補服」胸の部分には文武官位が明白な刺繍が施されていました。
この胸の刺繍は、文官が鳥類、武官が獣類、そして官位によりそれぞれ描かれている動物が違います。
そのため、着用している人の文武官位が一目瞭然になっています。
文官
武官
中国の清の時代のドラマなどでよく見かけますので、ご参考にしてみてください。
(画像をクリックすると、写真が拡大されます)