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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「刀研ぎの雨(磨刀雨)」(燕京歳時記)

「大日照も五月十三は過ぎない」という都のことわざがある。

五月十三日は関羽が揚子江を渡り、呉の孫権と会見した日で、関羽は会見に赴いた際、刀を雨水で研いだと俗に伝えられている。

そのことから五月十三日に降る雨を「刀研ぎの雨(磨刀雨)」という。

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「ざくろと夾竹桃」(燕京歳時記)

都では五月に、目にも鮮やかなざくろの花が咲く。
巷に住んでいる人たちは中庭に夾竹桃と並べて飾りこれを楽しむ。
ざくろと夾竹桃の間には金魚鉢をおき、金魚数匹をそのなかに泳がせている。これはどの家でも見られる。

「日よけ、金魚鉢とざくろの木」ということわざがあるが、どの家も同じ事をしていることをさしている。

「十里河」(燕京歳時記)

十里河(シーリーフー) の関帝廟は広渠門外にある。毎年五月十一日から三日間縁日がある。毎年このとき芝居の関係者は芝居を献上する。

「瑶台」(燕京歳時記)

瑶台(ようだい)とは「窰台」のことで、正陽門外、黒窰廠(こくようしょう)にある。五月になると日よけのかけられた茶席が設けられ、人々の展望の場所となっている。ここも南城の古跡の一つだ。

『日下旧聞考』には、
黒窰廠は明の時代の瓦工場だったとかかれている。清朝では窯業者に下請けに出したのでこのかわら工場は廃止となった。ここはちょっとした高台になっていて、蒲が生える低地もあり景色が良く、都の人たちが高台に上りに訪れる。

と書かれている。

「南頂」(燕京歳時記)

南頂の碧霞元君廟は永定門の外3kmほどのところに西向に建っている。左右に門があり、左の門には「廣生長養」、右の門には「羣育滋藩」とかかれた額がかかっている。この二つは、乾隆三十八年(1773)、修築時の乾隆帝の勅額である。毎年五月一日から十日間の縁日には多くの信者が集まる。廟は荒廃しているが、河原や小高いところに席がもうけられ、そこで落ち着いて飲み食いをしている。夕刻になると三々五々帰途につく。多くの参詣客はここから大沙子口にいき競馬をみる。

『宸垣識略(しんえんしきりゃく)』によれば
南頂の南に流れる川は「涼水河」といい橋を「永定橋」という。小高い丘は「九龍山」といい、この山は涼水河を作ったときに掘られた土で作られた山で、まわりに桃、柳などが植えられた。縁日にはここに桟敷が作られ、人々はここで飲み食いをする。

という。

現在でも山は残っているが、桃や柳は見る影もない。

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