燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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中国人は自らを「華人」、「龍的傳人(龍の子孫)」、「中国人」と呼びますが、それらの源についてご紹介しましょう。
中国の古代文化には二つの大きな流れがありました。
ひとつは渭河流域の「仰韶文化」、
そしてもうひとつは大凌河流域の「紅山文化」です。
「仰韶文化」の象徴はバラの花で、「紅山文化」は龍が象徴となっていました。
6,7千年前には華山(陜西省東部)から燕山(河北省北西部)の北にバラ、龍が見受けられるようになっていたといわれています。桑乾河上流の地域(河北省山西省北部)ではバラと龍が相接していて、両者の結合は大凌河上流地域で見受けられます。これらは5千年ほど前に登場します。廟や墓石のデザインにバラと龍のデザインを見つける事ができるのです。このことからこのころに華(花)と龍を象徴とする異なった文化を持つ人々の融合があったとおもわれます。これらの文化が中国の基礎となっていますから、中国の人々は自分たちを「華人」「龍の子孫」と呼ぶようになったわけです。
さて、中国についてはこのようにいわれています。神話の中の皇帝に話が飛びますが、尭、舜、禹といった皇帝がいました。その中の「舜」は即位にあたって「中国に至った」と書物にかかれています。後にその中国という言葉は「帝王が都を建てた地を中心とする。ゆえに中国という」と解釈されるようになりましたが、中国の皇帝伝説の中ですでに「中国」という言葉は存在していたということです。
「中原」つまり古代中国の都があった地方において、「華」と「龍」とはじめは晋南を指す言葉でしかなかった「中国」ということばが出会いました。そして中国人、華人、龍的傳人という言葉が同義語となっていくのです。
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中国の古代文化には二つの大きな流れがありました。
ひとつは渭河流域の「仰韶文化」、
そしてもうひとつは大凌河流域の「紅山文化」です。
「仰韶文化」の象徴はバラの花で、「紅山文化」は龍が象徴となっていました。
6,7千年前には華山(陜西省東部)から燕山(河北省北西部)の北にバラ、龍が見受けられるようになっていたといわれています。桑乾河上流の地域(河北省山西省北部)ではバラと龍が相接していて、両者の結合は大凌河上流地域で見受けられます。これらは5千年ほど前に登場します。廟や墓石のデザインにバラと龍のデザインを見つける事ができるのです。このことからこのころに華(花)と龍を象徴とする異なった文化を持つ人々の融合があったとおもわれます。これらの文化が中国の基礎となっていますから、中国の人々は自分たちを「華人」「龍の子孫」と呼ぶようになったわけです。
さて、中国についてはこのようにいわれています。神話の中の皇帝に話が飛びますが、尭、舜、禹といった皇帝がいました。その中の「舜」は即位にあたって「中国に至った」と書物にかかれています。後にその中国という言葉は「帝王が都を建てた地を中心とする。ゆえに中国という」と解釈されるようになりましたが、中国の皇帝伝説の中ですでに「中国」という言葉は存在していたということです。
「中原」つまり古代中国の都があった地方において、「華」と「龍」とはじめは晋南を指す言葉でしかなかった「中国」ということばが出会いました。そして中国人、華人、龍的傳人という言葉が同義語となっていくのです。
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2000年07月14日
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