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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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駱駝といえばシルクロードを思い浮かべる方が多いと思いますが、実は北京と駱駝も深い関係があるのです。そんなことを御紹介しましょう。
駱駝は「砂漠の舟」とも言われ長年の間砂漠地帯の輸送の手段となっていました。そして北京一帯においても駱駝は主要な輸送手段であったのです。

時代は金の時代にさかのぼります。金の時代の末期、北京の西・「門頭溝」あたりで産出される石炭の輸送に使われるようになったのが始まりです。中国において、重いものの輸送は駱駝と言うのが常識だったようで、石炭を運ぶ役目も駱駝が担うことになったようです。その後、材木などを運ぶようにもなりますが、駱駝を養っている人はその後も門頭溝に集中していました。(それ以外に北京の南、大灰廠のあたり)。

それ以降、元・明・清の時代と、北京近郊では駱駝が主なる輸送手段だったようです。近年流行の「老照片(旧い写真)」でも駱駝の隊伍や駱駝の隊伍が休息をとっている姿を見る事が出来ます。



その駱駝も、万能ではなかったようで、一年の中で夏のみは、駱駝が病気をしやすく、輸送には使われなかったといいます。

民国初期になると駱駝の隊伍が交通を阻害し始め、警察庁は「(駱駝)3頭を一隊伍とする。それらが連なる事を禁止する」と規定します。そして、鉄道が敷かれ、石炭輸送の手段が貨物列車に取って代わられるようになり、駱駝の姿が次第に北京城内から姿を消す事になります。

それでも40年代までは城内で駱駝を見かけることがあったといいますが、現在では動物園、そして万里の長城の記念撮影場所でしかその姿を見る事が出来なくなりました。

こんな詩が残っています。

腫背馬行鈴声長  或十或五聯作行  背上梱載高于墻

駝能辧風色  駝能識泉脈  不用駝智駝力

城中千煙復萬煙  仗你西山運煤石 ……

らくだの鈴の音が響く 十、五と続いている 背に乗せた荷物は城壁よりも高い
駱駝は空気で 水のありかを知ると言う それは知恵でも力でもない
煙る街中 西山の石炭を運ぶのはおまえがたよりだ

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