燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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捜神記:董永遇仙記
漢のころ、千乗に、董永という人がいました。幼いころに母を亡くし、父親と一緒に暮らしていました。畑仕事をして暮らしていましたが、いつも父親を車に乗せて野良に出ていました。その後父親も亡くなりましたが、お金がなく葬式が出せませんでした。董永は奴隷として自らを売り、そのお金で葬式を出すことにしました。主人はそれを知り、董永は立派な息子だと、一万の銭を董永にやりました。
董永は葬式を挙げ、三年の喪に服し、それが明けると、主人の下に赴きました。途中一人の女性に出会いました。その女性が嫁にしてほしいと言うので一緒に主人の家に行きました。主人は董永に「あの金はおまえにやったものだよ」と言うのですが、董永はおかげさまで亡き父の葬式無事に行うことができました。たいしたことはできませんが、一生懸命働いて恩返しをしたいと思います」と言います。そこで主人は「お前の妻は何ができるのだ?」と尋ねると「機織ができます」と言うので、「それなら100疋の絹を織ってもらおう」と主人が言いました。董永のそこで妻は機織をはじめましたが、十日もするとすべて織りあがりました。絹を織り終え、二人は主人の家を離れましたが、妻はそこで「私は天の織女です。あなたがとても親孝行なのを知った天帝が、あなたの借金を返す手伝いをさせたのです」と話しました。そして話し終わると、妻は天高く舞い上がり飛び去って、行方知れずになってしまいました。
七夕の由来のお話しです。
漢のころ、千乗に、董永という人がいました。幼いころに母を亡くし、父親と一緒に暮らしていました。畑仕事をして暮らしていましたが、いつも父親を車に乗せて野良に出ていました。その後父親も亡くなりましたが、お金がなく葬式が出せませんでした。董永は奴隷として自らを売り、そのお金で葬式を出すことにしました。主人はそれを知り、董永は立派な息子だと、一万の銭を董永にやりました。
董永は葬式を挙げ、三年の喪に服し、それが明けると、主人の下に赴きました。途中一人の女性に出会いました。その女性が嫁にしてほしいと言うので一緒に主人の家に行きました。主人は董永に「あの金はおまえにやったものだよ」と言うのですが、董永はおかげさまで亡き父の葬式無事に行うことができました。たいしたことはできませんが、一生懸命働いて恩返しをしたいと思います」と言います。そこで主人は「お前の妻は何ができるのだ?」と尋ねると「機織ができます」と言うので、「それなら100疋の絹を織ってもらおう」と主人が言いました。董永のそこで妻は機織をはじめましたが、十日もするとすべて織りあがりました。絹を織り終え、二人は主人の家を離れましたが、妻はそこで「私は天の織女です。あなたがとても親孝行なのを知った天帝が、あなたの借金を返す手伝いをさせたのです」と話しました。そして話し終わると、妻は天高く舞い上がり飛び去って、行方知れずになってしまいました。
七夕の由来のお話しです。
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