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「春打ち (立春)」(燕京歳時記)

立春を「春打ち」という。ちなみに立春は、一月にあることが多い。立春の前日、北京地方を治める順天府の官吏たちが東直門から一里離れたところに設けられた「春場」に出向いて春を迎える。立春当日は、礼部の官吏は春山宝座という春の山の形をした玉座を作って皇帝に進呈する。順天府からは春牛図が進呈される。この儀式が終わると官吏たちは役所に戻り、春牛を引き出し、鞭で打つ。これが春打ちである。

この日、金持ちの家では春餅を食べる。女性や子供たちは大根を買って食べるが、これを「春を咬む」といい、こうすると春の眠気を追いやることが出来ると言われている。

『礼部則例』には、次のようなことが記されている。

立春の一日前、順天府の長官は配下の官吏を従えて、官吏の礼服を着用、東直門外において「春」を迎える。配下が春の神・勾芒神と土で作った牛(土牛)を担いで、鳴り物を先頭に役所の前に来て、美しい色とりどりの布をめぐらした小屋の帳の中に安置する。立春の当日には、大興、宛平の二つの県の 知事が机を午門の外の正面中央に設けて、恭しく皇帝、皇太后、皇后に勾芒神と土牛を進奉し、春山宝座もそれに添える。順天府 の学校、大興県、宛平県の学校の学生らがこれを担ぎ、礼部の管理が先導して、後ろには尚書省次官、順天府長官と次官が随い、午門の中央の門から入り、乾清門、慈寧門に来て、恭しく献上する。そこからは宦官が取り次ぎ奏上される。儀式が終わると皆退出するが、そのとき順天府長官が土牛を出し、これを鞭打つが、これには勸農の意味がある。また『湧幢小品』には、明の正統年間に、毎年立春に、順天府は春の牛、春の花を作り、皇帝と仁寿宮に献上するものと、あわせて祭壇が三基つくる。それぞれ金銀玉翠などで飾られ、九万以上の費用がかかった。皇帝の即位があると次の年には三基増やされる。あまりの負担に宛平の民衆が陳訴をし、花が代わりに用いられたこともあった。
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