燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「都城隍廟」(燕京歳時記)
都の土地神様を祭る「都城隍廟(とじょうこうびょう)」は宣武門内溝沿西の城隍廟街路の北にある。毎年五月一日から十日間、縁日の市がたつ。市に出ているものは子供の遊び道具ばかりで、特に珍しいものもなく、客もすくない。
『日下旧聞考』には、
と書かれている。
廟は元の世祖(フビライ)の至元十七年(1280)に作られ、明代に修築されている。清朝においては雍正四年(1726)と乾隆二十八年(1763)に修築されたが、光緒元年の火災で建物は消滅、石碑にはひびが入ってしまった。このとき、ここにまつられていた天子の直轄省の土地神様像もほとんどがなくなってしまった。最近、正殿だけは修築され春、秋の大祭に使っているが、そのほかは已然として瓦礫のままである。
都の土地神様を祭る「都城隍廟(とじょうこうびょう)」は宣武門内溝沿西の城隍廟街路の北にある。毎年五月一日から十日間、縁日の市がたつ。市に出ているものは子供の遊び道具ばかりで、特に珍しいものもなく、客もすくない。
『日下旧聞考』には、
都城隍廟は、明代は、毎月一日十五日と二十三日の縁日に市がたった。市にはとても多くのものが並び、人々の日常の生活に必要なものはすべて手に入った。しばらく旅先で過ごそうとする旅人がお金をもってここに来れば、またたくまに必要なすべてのものをそろえることが出来た。書画骨董の類は、本物贋物が雑然と並んでいたし、剔紅(ちゃっこう)、填漆(てんしつ)という古い漆器類もあった。これらは宮廷から流れ出たもので特に精巧に出来ていた。当初は安く売られていたが、そののち十倍もの値段がつけられるようになったという。陶磁器は、成化年間製のものがもっとも高価で、つぎ宣徳年間製はのものであった。杯の類がかつては数両で取引されていたというが後に成化年間製の酒器は銀百両となったという。また宣徳年間製の香炉もおなじようなものだった。
と書かれている。
廟は元の世祖(フビライ)の至元十七年(1280)に作られ、明代に修築されている。清朝においては雍正四年(1726)と乾隆二十八年(1763)に修築されたが、光緒元年の火災で建物は消滅、石碑にはひびが入ってしまった。このとき、ここにまつられていた天子の直轄省の土地神様像もほとんどがなくなってしまった。最近、正殿だけは修築され春、秋の大祭に使っているが、そのほかは已然として瓦礫のままである。
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