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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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都では、重陽を九月九という。例年、九月九日には急須や酒器を携えて小高い場所に登る。南は、天寧寺、陶然亭、龍爪槐など、北は薊門烟樹、清浄化城など。遠くでは西の西山八刹など。詩を読み、酒を飲み、肉を焼いてたべ、菓子を分けて楽しむ。まさに、一時の快楽だ。

『日下旧聞考』には、
天寧寺は、広寧門の外、1kmにある。塔の高さは80m。隋仁寿二年に建てられ、仏舎利が安置された。寺の名前は北魏では光林寺、隋では宏業寺、唐では天王寺、金では大萬安寺と変わり、前王朝の明宣徳中期に天寧寺と改称された。清の乾隆二十一年に改修したが、以前からの名前を残し、天寧寺とした。
と書かれている。

陶然亭は、正陽門の外西南の黒窰廠(こくようしょう)の慈悲菴にある。康煕乙亥の年に建設省の役人江藻が建てた。

龍爪槐は、興盛地の別称で、陶然亭の西北の方向を一望すればすぐわかる場所にある。しかしこの寺について、『日下旧聞考』には記載がない。寺には塔が二つあり、そこから遠くを眺めることができる。龍爪槐の由来の木は、すでにない。

薊門烟樹は、徳勝門外、土城の関門にある。昔の薊邱の場所だといわれているが、かつてはあったという楼閣も今はなく、門が小高い二つの丘の形で残っているだけだ。樹木が茂り、鬱蒼として緑濃く、そのため燕京八景に選ばれたが、かつての姿はなく、木々も枯れてしまっている。唯一残っているのは、乾隆帝の建てた詩碑だけだ。

清浄化城については、『日下旧聞考』に記載がない。前編にはこの名前が見うけられる。

西山八刹は阜成門外八里荘から北西に10kmほどのところにある。翠微山、平坡山、盧師山と言う名がある。
八刹についてはいろいろ言われていて、同じものがない。
現在は、翠微山ふもとで東向に建っている長安寺。長安寺の北東、山の頂にあり南向きの秘魔崖。長安寺の西北の山麓にあり塔のある霊光寺(この塔の近くには池があり池の北側に新築の受戒台がある)。霊光寺の北東にある三山庵。その隣の南向きに座している大悲寺(門がる)。真北に位置し東向に建っているのが龍泉堂(霊泉がある)。竜王堂の北の香界寺。香界寺を見下ろす宝珠洞。これがいわゆる八刹だ。
長安寺は別名善應寺。三山庵は『日下旧聞考』には記載されていない。霊光寺は翠微寺と一つになっている。塔の基礎部分にある鉄の灯篭は、今も残っている。


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訳注:

燕京八景:瀟湘八景にならって、乾隆帝が選んだ北京の景勝八選
「居庸疊翠」、「薊門煙樹」、「盧溝暁月」、「玉泉垂虹」、
「西山晴雪」「西山積雪」、「瓊島春陰」、「太液秋風」、「金台夕照」
ちなみに、金の章宗版もあり、こちらは「薊門煙樹」が「薊門飛雨」、「西山晴雪」が「西山積雪」だっただけで、ほかには変わりありません。

ちなみに瀟湘八景は現在の湖南省、瀟水と湘江の合流するあたりの一帯の名勝八箇所。”何とか八景”の元祖。

西山八刹:いわゆる八大処。
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