燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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釣魚台は阜成門外1.5kmにある。南向きに行宮がある。例年重陽には都の少年達が集まり競馬をする。普通、ここは望海楼と呼ばれている。
『日下旧聞考』によれば、
釣魚台は三里河の西北の方、500mのところにある。金の天子が遊んだところである。釣魚台の前には泉水が沸き、一年中涸れることがない。西山山麓から流れ出る川の水がすべてここに集まるのだ。元の時代、ここは玉淵潭といい、丁氏の庭園であった。清の乾隆二十八年あたりを掘って香山から新たに水を引き湖をつくった。また水量調節のための水門を設た。湖の水と、ここで合流した河の水は、三里河から阜成門に至り、北京のお堀の水となっている。乾隆三十九年、初めて台座の修築が行われ、皇帝自ら「釣魚台」の文字を書き、西側に飾った。
と記されている。
皇帝が西陵に参るときと御苑から出向き天壇で祭祀を執り行うときにはここでいつも朝食をとった。台座の左手は養源斎、瀟碧亭などがすばらしい景色をかもし出している。
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訳注:
釣魚台:現在は、中国の国賓を迎える迎賓館の別称のようになっています。
『日下旧聞考』によれば、
釣魚台は三里河の西北の方、500mのところにある。金の天子が遊んだところである。釣魚台の前には泉水が沸き、一年中涸れることがない。西山山麓から流れ出る川の水がすべてここに集まるのだ。元の時代、ここは玉淵潭といい、丁氏の庭園であった。清の乾隆二十八年あたりを掘って香山から新たに水を引き湖をつくった。また水量調節のための水門を設た。湖の水と、ここで合流した河の水は、三里河から阜成門に至り、北京のお堀の水となっている。乾隆三十九年、初めて台座の修築が行われ、皇帝自ら「釣魚台」の文字を書き、西側に飾った。
と記されている。
皇帝が西陵に参るときと御苑から出向き天壇で祭祀を執り行うときにはここでいつも朝食をとった。台座の左手は養源斎、瀟碧亭などがすばらしい景色をかもし出している。
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訳注:
釣魚台:現在は、中国の国賓を迎える迎賓館の別称のようになっています。
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