燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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西湖より包頭まで 5 燕京の二日間 -02 紫禁城 前編
8月31日午前7時起床。
まもなく隣の三菱公司におられる山本農学士の来訪あり。
正定、無極、寧晋、邯鄲付近の棉作指導の談話を聞く。
午前9時半旅宿の案内人を雇いて
まず北海を見物せんとて、馬車に乗り三条胡同を西して皇城繚牆に達し
これにそいて北、東安門を入って紫禁城の濠の外なる北池子を北に通り、
さらに濠に沿いて皇居の北、神武門前を横ぎる。
この門内に宣統帝がおられるとのこと。
ここをずっと通って承光門に達し、団城を左に見て、門照を衛士に渡し、
「関翠」と題せる牌楼をすぎ、碧橋を渡って、瓊華島に入る。
ここでまず見物としての第一歩を踏んだことになる。
この島は艮嶽に擬してつくられたものだとのことで、
奇岩怪石これを蔽うに蒼々とした樹木を似せてるところ、
橋の北詰に堆雲という牌楼がある。
ここを北進すると永安寺で殿堂の後ろに乾隆の二碑がある。
漢梵蒙満の四体の書で、一方に山の由来、一方に『白塔山総記』が記してある。
さらにこの両碑から石階を上ると白塔山である。
正覚殿内に祀られてある喇嘛仏を拝し、その殿上より北京を大観すれば、
旧皇城は言に及ばず、総督府、国務院すべて一眸の中にあって鬱蒼たる森林の都、
ここかしこに宏大なる建築物の甍の光、
黄瓦、緑瓦、紅瓦、黒瓦とりどりに相調和して
悠久の大都たるの感ことにふかい。
森の都といわんよりは琉璃の都と呼ぶのがよい。
ことに手近な行宮万仏楼の黄瓦碧瓦の取り組み、
北海をへだてて夢のごとくに浮かび出たるは、なんともいえぬよい景色である。
殿後の白塔は入ることができない。
白大理石で積み上げられた宝珠塔に、秋草秀たるがあわれと思うほどに、
鳩が一羽去来したのも時にとっての風情であった。
ここより歩んで池辺の碧照楼に下る途中、珍奇な庭石の中のトンネルを過ぎ、
楼後の漪瀾堂に出る。
楼は海に面して東に有延楼西に綺晴楼の回廊がある。
結構の美、水陸の映発、とても我国宮島の比でない。
堂に題して「湖天浮玉」とあるのも誠なりと思われる。
何にしても文字の国だけに島の名前、楼の額、いずれもこったものだ。
あるいは琳光、あるいは甘露と名づけ、あるいは水精という。
瓊華春陰、徘徊去らしめずという趣である。
楼より船に賃して蓮湖の中から顧みれば、
左に景山あり、右に御河橋のアーチあり、
階上高く「遠帆閣」と題せる碧照楼の結構を中心にして、
双翼の回廊が水に浮かべる様子は、天然の勝と人工の美を兼ね備えた有様、
一行ただ陶然として酔えるがごとくである。
やがて船は五龍亭につく。
湖によって五つの亭があり結構また数奇を極めている。
石橋を歩みて「震旦春林」と題せる仏寺に入ると、
堂の中に極楽世界の模型がある。
須弥山を形どったもので下界から上に登れる仕組み。
堂もしたがって宏壮であるが修繕中で登らさぬ。
「妙境荘厳」、「安養示諦」などいう牌楼がある。
ここを出て湖にそいて明代後王室の帰依ふかき大慈真如宝殿にゆく。
天王門の四天王は目下仏師の手で塗りかえられている。
宝殿は白木作り、中央の三尊仏は鋳銅で立派な製作品である。
この堂の奥にも一つ八角堂がある。
龕中には仏像はないがその台座石の四方に精密な彫刻の仏画がある。
この堂のも一つ奥に鉄骨で石と煉瓦と土とのみでできた建築物がある。
琉璃瓦で極めて美わしく化粧してあって堂々たる殿堂であるが、
今は半ば破れている。
辞して楽静園外で九龍壁というものを見る。
これは驚くべき窯工の精技である。
~>゜)~<蛇足>~~
わかりやすくするため、変更したのは以下の通りです。
本文中の
「団城」 オリジナルでは「団殿」
「九龍壁」 オリジナルでは「九龍牌」
~>゜)~<蛇足2>~~
本文中の「この門内に宣統帝がおられるとのこと。」
そうなんですねこの時代、まだ宣統帝は紫禁城の一角に暮らしていたのです。
~>゜)~<蛇足3>~~
北京は好きなので、あちらこちら解説をつけたくなるのですが、
今回は文章の紹介を続けます。
機会を見て、解説をつけたいと思っています。
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