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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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西湖より包頭まで 5  燕京の二日間 -02 紫禁城 後編

 辞して中央公園に立ち寄り、老柏天に参する森厳な空気の下で中食をすまし、公園の隣の社稷壇に入る。
白石壇三層めぐらすに琉璃瓦の垣がある。
東は青、西は白、南は赤、北は黒瓦で畳んである。
青が紫に見え、白がやや黄味を帯び、赤が赭色をなしてはいるが、
窯色めづるに足るもので、壇の北方に社稷の祠があり黄瓦をふいてある。
壇上から皇城の方を見ると、天安門、端門、午門の結構雄大に仰がれる。



 ここを出でて紫禁城内に入るべく西華門にゆき、まず武英殿に入る。時に午後2時。
元武英殿聚珍版の活字が貯えてあったところ。
今は国立博古院の監理する陳列館で、康煕・乾隆の全盛時代の御物をはじめ、
天下の美術工芸品の淵叢となっている。
郎窯の紅、均窯の紫、青磁の凉色をはじめ名状しがたい陶器の逸品、
堆朱、印材、竹材、象牙材の技工品をはじめ、硯石、珊貝の妙品に至るまで、
一として至宝ならざるはない。
かくのごとき世界が眼前にあるのに気も遠くなる。
周代の古銅器ごときその美わしい古色に陶酔させられる。
二時間や三時間で出られるところではないが、あまりの立派さに食傷しないうちにと、
ここを出て順路太和門を通って右に体仁閣、左に弘義閣を見つつ正面の太和殿に登る。

 門外に金水河が曲線を描いて流れている。
仰げば白大理石の階欄、殿前をめぐること三段、高さ丈余、正面に磴道三つ、
これに前垂石か45枚蛟龍が刻してある。磴道の左右、宝鼎を配置すること十有八、
殿前の広場に銅亀銅鶴格一対、日圭、日嘉がある。
まことに威風堂々たるもので天子賀をうくるの正殿だという。
袁世凱の時これを承運殿と改名したとのこと。
その奥に中和殿、保和殿とほとんど同大の宮殿があって、
も一つ奥に乾清宮があり、満州皇帝の居邸になっている。
保和殿には四庫全書の一が置かれてある。
今これら雄大な聯階の上に立って、
階欄の下はるかに低い廷上の廊廡に群臣百官を置くときの天子の尊厳を思うと、
なるほどこれが宮殿というものだと感じる。
漢高祖が、「今日皇帝となるの貴を知る」と叫んだ長楽宮も
あるいはこんなところであったのであろう。

 ここをおりて協和門を出て、文華殿に行く。
武英・文華と相対して太和殿外の左右にあり、
文華殿は東で東華門から入るのが本道である。
もと文淵閣とてしこの一を蔵したところであったが、
今は武英殿とともに陳列所にあてられ、ここで書画の逸品を展覧せしめる。
方琮、仇英、文徴明などの霊筆に見てとれる。
辞して清史館の前を通り東華門を出で、
南池子街を南して正陽門に出で一路南して外城内の天壇にゆく。



 ここは天子親しく皇天上帝を祀るところ。
明の永楽十八年の創建で、周囲九里十三歩の磚塀がある。
規模宏大の禁地で驚くべき老柏の野原ともいうべきところである。
まず右手の斎宮に入って、古の楽器を見る。
十六律の黄鐘および玉磬、十八の方響(鉄)の立派なのに驚く。
祭器楽器数多きものの中に敔とて虎形の背に木片数十をつけたのが珍しい。
ここより歩して林野の間を過ぎ天壇に達する。
その圜丘は天にかたどって白大理石算段に築き上げてある。
各段五尺余の高さがあり、径二十一丈に達する。壇をめぐって二重の垣がある。
壇下に五つの鉄篝があり犠牲を焼く竈も見える。
圜丘の北の成貞門を出ると皇穹宇と名づくる祠堂があるが入れてくれない。

 皇穹宇から後方の大通りを北に行くこと一支里にして祈年門がある。
祈年殿の入り口である。
殿は正月上辛天子年を祈るところ。
光緒二十三年の再建として碧琉璃にて葺いた円形の三層楼がまだ新しい。
殿内仰いで柱組みや丹碧の傅彩を見る。
壮麗実に天壇第一の偉観である。



ここを出て先農壇にゆく、嘉靖年代の創建である。
周囲六里の長垣をめぐらし中に太歳殿、神祇壇、観耕台などがある。
今は城南公園と化し、太歳殿は警察部が宿所とし、観耕台は茶店となり、
籍田の跡まったく荒れてテニスコートに化し、
天神および地祇を祀った石造の龕、むなしく雑草の中にうずもれ、
方壇まさに崩れんとするの状、まことに遊子の失望に値する。
かずこれで見物日程の第一日を終わったことにして帰る。
夜に入ってさらに中央公園の夜景を見、転じて城南公園に遊ぶ。
いやに殺風景なところだ。
十一時帰宿。 



~>゜)~<蛇足>~~

 「大和殿」、先農壇の「大歳殿」を「太和殿」、「太歳殿」に変更しました。
 太和殿前の「日晷、嘉量」はオリジナルでは「日圭、日嘉」になっています。
 参考までに
   日晷(にっき)は日時計、嘉量(かりょう)は度量衡の標準器です。
   
   手元の『紫禁城』の写真集(1987)からの参考写真です。

~>゜)~<蛇足2>~~

 天壇の祈年殿について「壮麗実に天壇第一の偉観である。」と書きながら、
 挿入写真が、祈年殿内部...。何と言いましょうか....。
 

~>゜)~<蛇足2>~~

 北京は乾燥しているイメージが強いのですが、
 場所によっては緑が多く存在します。
 昔、「孔子廟に野生のフクロウがいる」と新聞で読んだことがあります。
 いまでもいるのでしょうか?
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