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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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西湖より包頭まで 6  包頭行 -04 万里長城 前編




 普通内門を通って外門に進み、外門の横から、高3丈の長城に登り、
それより城壁の上の広さ15尺ないし20尺もある磚瓦の甬道を尾道伝いに西方の台に上る。
墩台は36丈毎に一つあって方形である、
第一の墩台には古銭やら数珠などを売っている乞食風のものがおったが、
第二の墩台の上には今朝北京を発して汽車でやってきた多くの外人、華人などが、盛んに食事を取っている。日本の大学生も見受けた。
いかさま見晴らしがよい。
南は山岳重疊の居庸関一帯をへて望京の情が起り、
北は山西北部の台地を越えて胡軍を呼ばう概がある。
形勢まさに天険である。
脚下を見ると石と磚とを漆喰で固めてある。
黄土と石灰と墨との三つを混じた三合土なるものを用いたというが
非常に堅牢にできて峰から峯へ延亘している偉観に、万里長城の名のふさわしきを思う。
ところどころに甬道から下りられる暗道がつけてある。
雉堞石のところどころ破れたるが惜しい気がする。

 何にしてもかかる雄大なものが西は臨洮から東遼東に至る万余里に延亘したと思うと感慨無慮で、遠古の時代を回顧して默々たる思に沈むのも人情であろう。
しかし我等が今佇立して朔北の荒野に対しているこの城壁は決して一朝一夕にできたものでない。
上下三千年の間、漢民族の対外闘争の結果として、幾多英雄の心血を灑がしめたもの。
秦始皇がつくつたと簡単簡単な記述でかたづけてはすまないものである。
 そもそも支那に長域のあるは必しも北に限らない。
今でも村落、県鎮すべて土垣または城壁をめぐらすように、洛陽あたりでは単に自己の田畑にさへ壘を繞らしている。
かような境界の観念は、紀元前4世紀戦国の世において著るしく列強の間に起り、
山東には斉斉魯の長城が泰山の左右に連り、河南に韓の長城ができ、
その南に楚の長城があるという風に、中原の間にあったが、
そのもっとも盛んに築かれたのは、何といつても北方の夷狄騎射に堪能なものを防がねばならぬ方面であつた。
すなわち直隷山西陜西の各省に国する所の燕、趙、魏、秦の四国はよほど早くからその工を起した。

 それは西紀81年にローマ帝ドミティアヌスが、ライン、ダニューブ両岸河の間に長城<リメス>を築いて、北狄を限ったよりも、およそ500年も前の事で、
最初に、魏恵の恵王長城を固陽に築き、
ついで西暦前314年秦は義渠の戎を破って北地長城をつくり、
趙の武靈王は前307年林胡楼煩を破って代より陰山にかけて長城をつくり、
燕もまた東胡を破って造陽より襄平に至る長城を築いた。
いずれも夷狄を退けて漢民族の植民地を作くり、その当然の結果としての境界を守るためのものであるから、長城は前進的であり移動的であつた。
ゆえに秦が天下を一統するや、これら四国の跡をうけつぎ紀元前215年蒙恬をして北の方胡を討ちことごとく河南の地をとって直道を通じ、九原より雲陽に至る間、いわゆる東洋のローマンロードをつけ、長城は西臨洮より。東遼東まで万余里に達せしめた。

 『匈奴伝伝』によるとこの時は「河によつて塞をつくったが、やがてまた河を渡り陽山北假中による」とあつて、
黄河の北の今の陰山々脈を越えて長城を広げたのであるから、実に前進的積極的である。
したがって漢民の力全く胡族を圧倒したので今日見るような堅固な城壁でなく、あるいは土壘、または石壘で比較的簡単な性質のものであったと見られるが、
その後漢民が到底北方の強勇に敵し得られぬやうになって、はじめて長城が消極的な防御機関となるに至り、山岳の険要によるところの蜿蜒としてつづく長城というものに進化した。
それは漢高祖が大同附近で匈奴の冒頓単干に囲まれた頃からの傾向である。
当時雁門の嶮によってこれを防御するにいたったのを、『史記匈奴伝』に
於是漢使三将軍軍屯北地、代屯句注、趙屯飛狐口、緣辺亦各堅守以備胡寇。又置三将軍、軍長安西細柳、渭北棘門、霸上以備胡。胡騎入代句注辺、烽火通於甘泉、長安。
と記している。
この句注というは今の雁門関で飛狐口は恒山の北、いずれも内辺長城の要塞であるが、
屯兵が常にここを堅守し、胡人来るや烽火をもって長安に通知するという風の組織を完成したのである。
その後衛青のごとき武将が出ると、再び塞外に武威を揮うたけれども
爾来この受け身の防御壁としての性質が定まって、
五胡十六国の時代に胡人が北支那に侵入して王都を置く頃になっても、
やはりこの長城を重要なものとして、さらに後方に備える事になった。



~>゜)~<蛇足>~~

 わかりやすくするため、原文の以下を変えました。
  羅馬帝ドミチヤヌス: ローマ帝ドミティアヌス


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