燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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纏足という言葉はご存知かと思う。
漢民族の女性の昔の習慣で、幼いころから足を縛り、成長を止め矯正させられた先のとがった小さな足のことだ。
私が北京に留学していた80年代には時折見かけたが、
さすがに辛亥革命(1911年)以後は行われなくなったので、現在見かける
事はなくなった。
纏足の足は、小さければ小さいほど美しいといわれるらしい。
「三寸金蓮」といわれ、3寸ほどの小さな足が、蓮の花びらにたとえられ賞賛された。
李華さんのお母さんの足は、纏足失敗の足だったという。
「祖父母が、あまやかして育てたから失敗したらしいわ。」
と彼女は言う。
「足の指を内側に折り込んで、それを布でぎっちり巻いておくのよ。
それだけならまだしも、それで歩かされるわけ。」
皆さんも試してみて欲しい。
足を握りこぶしを作るような状態にして、包帯で動かないようにきつく縛り、
それで歩くのだ。真似事のように言われた形にしてみたが、足の裏がつって、とても痛い。
「祖母に隠れて、布をはずしていたらしいのね。
でも辛亥革命のご時世で、それもいいかなぁって感じで祖父母は許していたらしいわ。」
「でもね、縁談が出るころになって、大変だったらしいわよ。
足の大きな女だって、いやがられて。」
「結婚してからもね、姑、だから私の父方の祖母や父に言われたらしいわよ。
足が大きいって。」
表面では纏足をやめようといっても、やはり自分の身内の事となると、
悪習とはわかっていてもやめる事が出来ないし、それに従っていない
となると、ちょっと不満なのが正直な気持ちだったのだろう。
「祖母の足は、本当に小さかったのよ。握り拳ほどしかなかったわ。」
「それがね、足を洗うのがまた大変なの。
いつも包帯のような布で足をぎっちり包んでいるでしょ。
それを解いて、足の指を一本一本伸ばしながら丁寧に洗うわけ。
いつも握っている状態になっているからまた伸ばすのが大変なのよ。」
小さかった李華さんはそれを興味深げに見ていたのだという。
そして「痛くないの?」という彼女の無邪気な問いに祖母は
「昔は痛かったけれど、もう痛くないわよ」
と答えたけれど、彼女には痛くないというのが信じられなかったという。
「靴は、たいてい祖母は自分で作っていたわ。
既成の物ってあったのかしら……。」
「私が覚えているのは、祖母がね、冥土に履いていく靴だっていって作って
いた、とっても素敵な刺繍の靴。
蓮の花を刺繍していたけど、蓮の花の靴を履くのが決まりなんですって。
紺のシルクの、とっても素敵な靴で、死んだときに履くなんて勿体無いって
思ったの。そして祖母が亡くなったときには、その靴を履かせたわ。」
李華さんはその靴より素敵な靴を見たことがないという。
それぐらいとっても素敵だったと。
「なんかもったいない習慣よね」といって笑った。
「そうそう、祖母が友達と三人で、
前門大街を天安門の方に向かって歩いていた姿を思い出す事があるの。
三人ともとっても小さな足でね。 だからヨチヨチ歩きなの。」
私の頭の中にも、その風景が、浮かんできた。
それがなぜか、懐かしい風景のように感じた。
漢民族の女性の昔の習慣で、幼いころから足を縛り、成長を止め矯正させられた先のとがった小さな足のことだ。
私が北京に留学していた80年代には時折見かけたが、
さすがに辛亥革命(1911年)以後は行われなくなったので、現在見かける
事はなくなった。
纏足の足は、小さければ小さいほど美しいといわれるらしい。
「三寸金蓮」といわれ、3寸ほどの小さな足が、蓮の花びらにたとえられ賞賛された。
李華さんのお母さんの足は、纏足失敗の足だったという。
「祖父母が、あまやかして育てたから失敗したらしいわ。」
と彼女は言う。
「足の指を内側に折り込んで、それを布でぎっちり巻いておくのよ。
それだけならまだしも、それで歩かされるわけ。」
皆さんも試してみて欲しい。
足を握りこぶしを作るような状態にして、包帯で動かないようにきつく縛り、
それで歩くのだ。真似事のように言われた形にしてみたが、足の裏がつって、とても痛い。
「祖母に隠れて、布をはずしていたらしいのね。
でも辛亥革命のご時世で、それもいいかなぁって感じで祖父母は許していたらしいわ。」
「でもね、縁談が出るころになって、大変だったらしいわよ。
足の大きな女だって、いやがられて。」
「結婚してからもね、姑、だから私の父方の祖母や父に言われたらしいわよ。
足が大きいって。」
表面では纏足をやめようといっても、やはり自分の身内の事となると、
悪習とはわかっていてもやめる事が出来ないし、それに従っていない
となると、ちょっと不満なのが正直な気持ちだったのだろう。
「祖母の足は、本当に小さかったのよ。握り拳ほどしかなかったわ。」
「それがね、足を洗うのがまた大変なの。
いつも包帯のような布で足をぎっちり包んでいるでしょ。
それを解いて、足の指を一本一本伸ばしながら丁寧に洗うわけ。
いつも握っている状態になっているからまた伸ばすのが大変なのよ。」
小さかった李華さんはそれを興味深げに見ていたのだという。
そして「痛くないの?」という彼女の無邪気な問いに祖母は
「昔は痛かったけれど、もう痛くないわよ」
と答えたけれど、彼女には痛くないというのが信じられなかったという。
「靴は、たいてい祖母は自分で作っていたわ。
既成の物ってあったのかしら……。」
「私が覚えているのは、祖母がね、冥土に履いていく靴だっていって作って
いた、とっても素敵な刺繍の靴。
蓮の花を刺繍していたけど、蓮の花の靴を履くのが決まりなんですって。
紺のシルクの、とっても素敵な靴で、死んだときに履くなんて勿体無いって
思ったの。そして祖母が亡くなったときには、その靴を履かせたわ。」
李華さんはその靴より素敵な靴を見たことがないという。
それぐらいとっても素敵だったと。
「なんかもったいない習慣よね」といって笑った。
「そうそう、祖母が友達と三人で、
前門大街を天安門の方に向かって歩いていた姿を思い出す事があるの。
三人ともとっても小さな足でね。 だからヨチヨチ歩きなの。」
私の頭の中にも、その風景が、浮かんできた。
それがなぜか、懐かしい風景のように感じた。
2003/04/18
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