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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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柳絮(りゅうじょ リュゥシュィ)



北京の春の名物のひとつ。柳の綿のような実が風に乗って舞い散り、一面をうめ尽くす。
その様子は、風流で、詩文などにも多く詠まれているけれど、私個人としては、この時期、咳に悩まされありがたくない風物である。

高校時代、図書館で『柳絮舞うころ』という題名の本を見かけ、北京のこの季節に思いをはせていた。優雅な風物にだと思っていた。

そして高校卒業後北京に留学、この柳絮初体験。のどをやられ、寝込んでしまう。それ以来、この時期必ずと言って良いほど一度は寝込むようになった。いまだにこの時期が苦手だ。

「柳絮が舞う季節、何がせつないって、咳が止まらなくなって、腹筋は痛くなる、胸は痛くなる……授業中だって教室の中を柳絮が舞うでしょ。それをみるとね、かつてその柳絮に思いをはせていた自分が可笑しくなるの。」 BFにそんな風にぼやいていた自分がよみがえる。

2001/04/25


この柳絮は「毛白楊」(ポプラの一種)から発生するのですが、その後綿毛の発生を抑える遺伝子組替えを行った毛白楊の木が研究開発されました。

留学時代から風流だとは思いながらも、柳絮に悩まされてきたので、これで一息つけると思う気持ちがある一方、季節の風物が一つ無くなりそうでちょっと寂しいです。
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文人の描いた旧都・北京 鄭振鋒 『北平』より
柳絮


…前略…

そよ風が吹くと、あたり一面の白い柳絮がくるくると転がり、次第に球状をなし、壁の隅に押しやられる。まだ空いっぱいに舞う綿のような小さな塊は、しばしばあなたの顔にへばりつき、鼻の穴を無理やり塞いでしまう。

…後略…

1934年11月3日


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どこかに柳絮について書いたものがないかと、本を繰っていたところ鄭振鋒の「北平」という文章の中に本の少しですが、触れられていました。「中学生」という雑誌に載せられた文章で、北京の四季を中心に名勝などが書かれています。

柳絮についてはたったこれだけ触れられているだけで、ちょっと不満が残るのですが、出だしには「春北京にやってきたら…」黄砂の出迎えを受けることが書かれていて、とても面白いです。黄砂についての部分は、また別途ご紹介します。


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鄭振鋒 (1898-1958): 福建省出身の作家、文学者。学生時代に五四運動に参加。瞿秋白らと「新社会」を創刊。文学研究会を主宰したり、商務印書館で編集に携わる。1931年からに北京大学などで教鞭をとるかたわら、研究にもいそしむ。著書に、「挿画本中国文学史」、「中国俗文学史」など

テキストは:
「北京乎・現代作家筆下的北京(1919-1949)」
三聯書店
駱駝といえばシルクロードを思い浮かべる方が多いと思いますが、実は北京と駱駝も深い関係があるのです。そんなことを御紹介しましょう。
駱駝は「砂漠の舟」とも言われ長年の間砂漠地帯の輸送の手段となっていました。そして北京一帯においても駱駝は主要な輸送手段であったのです。

時代は金の時代にさかのぼります。金の時代の末期、北京の西・「門頭溝」あたりで産出される石炭の輸送に使われるようになったのが始まりです。中国において、重いものの輸送は駱駝と言うのが常識だったようで、石炭を運ぶ役目も駱駝が担うことになったようです。その後、材木などを運ぶようにもなりますが、駱駝を養っている人はその後も門頭溝に集中していました。(それ以外に北京の南、大灰廠のあたり)。

それ以降、元・明・清の時代と、北京近郊では駱駝が主なる輸送手段だったようです。近年流行の「老照片(旧い写真)」でも駱駝の隊伍や駱駝の隊伍が休息をとっている姿を見る事が出来ます。



その駱駝も、万能ではなかったようで、一年の中で夏のみは、駱駝が病気をしやすく、輸送には使われなかったといいます。

民国初期になると駱駝の隊伍が交通を阻害し始め、警察庁は「(駱駝)3頭を一隊伍とする。それらが連なる事を禁止する」と規定します。そして、鉄道が敷かれ、石炭輸送の手段が貨物列車に取って代わられるようになり、駱駝の姿が次第に北京城内から姿を消す事になります。

それでも40年代までは城内で駱駝を見かけることがあったといいますが、現在では動物園、そして万里の長城の記念撮影場所でしかその姿を見る事が出来なくなりました。

こんな詩が残っています。

腫背馬行鈴声長  或十或五聯作行  背上梱載高于墻

駝能辧風色  駝能識泉脈  不用駝智駝力

城中千煙復萬煙  仗你西山運煤石 ……

らくだの鈴の音が響く 十、五と続いている 背に乗せた荷物は城壁よりも高い
駱駝は空気で 水のありかを知ると言う それは知恵でも力でもない
煙る街中 西山の石炭を運ぶのはおまえがたよりだ

「黄花魚と大頭魚(イシモチとアカタナゴ)」(燕京歳時記)

北京の三月は黄花魚、イシモチの季節だ。
初物は崇文門(すうぶんもん)の監督によって皇帝に献上される。
それ以前に市場に出回るものは解禁前の密売品なので、あえて買おうとするものはいない。

四月は大頭魚、アカタナゴの季節だが、これはイシモチほど美味ではないため、通常、皇帝に献上されることはない。

「衣替え」(燕京歳時記)

毎年三月に、被り物を夏帽にかえる。そして八月に冬帽に替えるのだが、その頃になると祭祀などをつかさどる礼部は皇帝に上奏して衣替えの許可を得る。二十日前後ということが多い。

男性が夏帽にかえるとき、女性は簪を玉製のものにかえ、冬帽にかえわるときには簪を金属製のものにかえる。

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