燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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西王母(セイオウボ)と長寿の桃
孫悟空のお話にも出てくる西王母、私の文章の中にも時々出てきますが、簡単に彼女をご紹介いたしましょう。
昔、仙境といわれていた場所は二つありました。東の蓬莱山、そして西の崑崙山(こんろんさん)です。そしてこの二つの山には不老不死の薬があると古くから言い伝えられていました。そしてその崑崙山の主人が王母娘娘(ワンムーニャンニャン)なのです。西の王母だから西王母というわけです。
彼女は玉皇大帝(ぎょっこうたいてい)という道教の最高位の神様の奥さんでもあり、女神の中では最高位の神様で、長寿の神様です。道教の世界では「九霊太妙亀山金母(きゅうれいたいみょうきさんきんぼ?)」「太虚九光亀台金母元君(たいこきゅうこうきだいきんぼげんくん?)」と呼ばれています。
かつては疫病や刑罰をつかさどる神様だったようですが、周から漢の時代にかけて不老不死の薬(霊丹妙薬(れいたんみょうやく))や桃(蟠桃(はんとう))を有する、長寿の神様と変化しました。
また、彼女は多くの伝説に名前を残していています。漢の武帝が天界で桃を賜った話、嫦娥が盗んだのは西王母の不老不死の薬でした。また西遊記のなかで孫悟空は西王母の桃を盗みます。……などなど数えれば切りがありません。それだけ人気のある神様だというわけです。
西王母を描いた絵にはたいてい桃が描かれています。侍女が桃をささげ持っている図も多く見られますが、西王母の桃とはどんなものなのでしょうか。
古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたり、お札に使われたりしてきましたが、崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるといわれています。この桃が不老長寿の桃なのです。この桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないといいます。そして3000年に一度しか実がならないのだそうです。西王母がこの桃が実ったのをお祝いして「蟠桃宴」を開きます。この宴に呼ばれるのは超一流の神様仏様たちだといいます。ちなみに、孫悟空はその宴に乱入に大暴れをしました。
このように西王母は長寿の神様としてとても親しまれている神様です。そうそう、西王母のお誕生日は、三月三日だということです。
孫悟空のお話にも出てくる西王母、私の文章の中にも時々出てきますが、簡単に彼女をご紹介いたしましょう。
昔、仙境といわれていた場所は二つありました。東の蓬莱山、そして西の崑崙山(こんろんさん)です。そしてこの二つの山には不老不死の薬があると古くから言い伝えられていました。そしてその崑崙山の主人が王母娘娘(ワンムーニャンニャン)なのです。西の王母だから西王母というわけです。
彼女は玉皇大帝(ぎょっこうたいてい)という道教の最高位の神様の奥さんでもあり、女神の中では最高位の神様で、長寿の神様です。道教の世界では「九霊太妙亀山金母(きゅうれいたいみょうきさんきんぼ?)」「太虚九光亀台金母元君(たいこきゅうこうきだいきんぼげんくん?)」と呼ばれています。
かつては疫病や刑罰をつかさどる神様だったようですが、周から漢の時代にかけて不老不死の薬(霊丹妙薬(れいたんみょうやく))や桃(蟠桃(はんとう))を有する、長寿の神様と変化しました。
また、彼女は多くの伝説に名前を残していています。漢の武帝が天界で桃を賜った話、嫦娥が盗んだのは西王母の不老不死の薬でした。また西遊記のなかで孫悟空は西王母の桃を盗みます。……などなど数えれば切りがありません。それだけ人気のある神様だというわけです。
西王母を描いた絵にはたいてい桃が描かれています。侍女が桃をささげ持っている図も多く見られますが、西王母の桃とはどんなものなのでしょうか。
古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたり、お札に使われたりしてきましたが、崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるといわれています。この桃が不老長寿の桃なのです。この桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないといいます。そして3000年に一度しか実がならないのだそうです。西王母がこの桃が実ったのをお祝いして「蟠桃宴」を開きます。この宴に呼ばれるのは超一流の神様仏様たちだといいます。ちなみに、孫悟空はその宴に乱入に大暴れをしました。
このように西王母は長寿の神様としてとても親しまれている神様です。そうそう、西王母のお誕生日は、三月三日だということです。
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「蟠桃宮(はんとうぐう)」(燕京歳時記)
太平宮は護城河に面している東便門の路の南に位置している。
ここには西王母像が祭られていることから、蟠桃宮とも呼ばれている。
毎年三月の一日から三日にご開帳があり、多くの人が参拝に訪れる。
かなりの賑わいだが、道教の本山である白雲観などに比べると、おとなしいものだ。
太平宮は護城河に面している東便門の路の南に位置している。
ここには西王母像が祭られていることから、蟠桃宮とも呼ばれている。
毎年三月の一日から三日にご開帳があり、多くの人が参拝に訪れる。
かなりの賑わいだが、道教の本山である白雲観などに比べると、おとなしいものだ。
「三月三日」(燕京歳時記)
一般的に、ヒョウタンを育てている人たちはこの日に種を撒くことになっているという。
この日にまかないと、実の出来が悪くなるといわれている。
一般的に、ヒョウタンを育てている人たちはこの日に種を撒くことになっているという。
この日にまかないと、実の出来が悪くなるといわれている。
連中三元
中国の科挙という、官吏登用試験なるものは、かなり過酷な試験でした。試験も、三日二晩晩缶詰状態で受けます。詳しいことは別の機会に...ということにしましょう。
さて、その科挙の試験ですが、簡単に言うと、郷試、会試、殿試に分かれています。郷試:地方試験 会試:全国試験 殿試:皇帝による最終試験 といったところでしょうか。この試験のそれぞれの首席合格者を解元、会元、状元、あわせて三元といいます。そして三元をとることを「連中三元」「三元及第」とい います。なんといっても、男の子が生まれたら、将来は「連中三元」とはいかずとも、なんとか科挙には合格して欲しいもの...
それはさておき、長い歴史の中には、 連中三元を果たした人が、なんと13人もいたそうです。唐代から清代まで、計596人の状元がいるそうですが、その中の13人だけが連中三元だとのこと。(12人、14人の説あり)
それで調べてみると、時代別に... 唐代:4人、宋代:7人、遼代:1人、金代:1人、元代:1人、明代:2人 清代:2人という数字が紹介されていました。この資料では18人...
ちなみに清の時代は試験が112回行われ、状元114人(ダブル合格があったのか?)だそうですが、連中三元はたった二人。
乾隆四十六年辛丑科(1781)の江蘇省蘇州府長洲県の銭棨、
嘉慶二十五年庚辰科(1820)広西省桂林府臨桂県の陳継昌
がそうですが、陳継昌は最後の連中三元となりました。
おまけ 歴代の連中三元 (いろいろありますが、手元の資料による)
唐代:崔元翰、武翊黃、張又新、白敏中
宋代:陳堯叟、孫何、王曽、王岩叟、楊窒、馮京、彭汝礪
遼代:王棠
金代:孟宗獻
元代:王宗哲
明代:許観、商駱
清代:銭棨、陳継昌
ちなみに清に戴衢亨という名前もあったのですが、戴衢亨は最年少状元ということですが、連中三元ではないようです。
資料によっては、唐代が二人になっていたり、遼代が加わっていなかったり... どの資料がなんなのか、よくわかりませんでした... (ーー;)
中国の科挙という、官吏登用試験なるものは、かなり過酷な試験でした。試験も、三日二晩晩缶詰状態で受けます。詳しいことは別の機会に...ということにしましょう。
さて、その科挙の試験ですが、簡単に言うと、郷試、会試、殿試に分かれています。郷試:地方試験 会試:全国試験 殿試:皇帝による最終試験 といったところでしょうか。この試験のそれぞれの首席合格者を解元、会元、状元、あわせて三元といいます。そして三元をとることを「連中三元」「三元及第」とい います。なんといっても、男の子が生まれたら、将来は「連中三元」とはいかずとも、なんとか科挙には合格して欲しいもの...
それはさておき、長い歴史の中には、 連中三元を果たした人が、なんと13人もいたそうです。唐代から清代まで、計596人の状元がいるそうですが、その中の13人だけが連中三元だとのこと。(12人、14人の説あり)
それで調べてみると、時代別に... 唐代:4人、宋代:7人、遼代:1人、金代:1人、元代:1人、明代:2人 清代:2人という数字が紹介されていました。この資料では18人...
ちなみに清の時代は試験が112回行われ、状元114人(ダブル合格があったのか?)だそうですが、連中三元はたった二人。
乾隆四十六年辛丑科(1781)の江蘇省蘇州府長洲県の銭棨、
嘉慶二十五年庚辰科(1820)広西省桂林府臨桂県の陳継昌
がそうですが、陳継昌は最後の連中三元となりました。
おまけ 歴代の連中三元 (いろいろありますが、手元の資料による)
唐代:崔元翰、武翊黃、張又新、白敏中
宋代:陳堯叟、孫何、王曽、王岩叟、楊窒、馮京、彭汝礪
遼代:王棠
金代:孟宗獻
元代:王宗哲
明代:許観、商駱
清代:銭棨、陳継昌
ちなみに清に戴衢亨という名前もあったのですが、戴衢亨は最年少状元ということですが、連中三元ではないようです。
資料によっては、唐代が二人になっていたり、遼代が加わっていなかったり... どの資料がなんなのか、よくわかりませんでした... (ーー;)
吉祥デザイン「連中三元」
現代の日本の受験戦争も厳しいものがありますが、中国の受験戦争は、その上を行っているようです。とはいっても現代の受験戦争は、かつての官吏登用試験「科挙」には遥か及ばないような気がします。その厳しい試験を勝ち抜くことを祈ったデザインがたくさん残されていますので、それをご紹介しましょう。
「連中三元」とは、「三元」に連続合格という意味がこめられています。「三元」とは解元、会元、状元のこと。科挙には郷試、会試、殿試と地方試験から皇帝の御前試験まで三段階の試験があり、その首席合格者がそれぞれ解元、会元、状元といわれます。一挙に「三元」合格。それを祈ったデザインです。
元をいろいろなものであらわしていますが、上は「元宝」、お金、三つの穴あき銭の真ん中を一本の矢が射抜いています。下の真ん中も「元宝」が三つです。中国の金や銀は昔このような形に鋳造されていました。そして下の左右は、丸い茘枝(ライチ)、桂円(龍眼)、胡桃で「円(yuan)」=「元yuan」で三元をあらわしています。一番下のデザインは丸い実が三つなっている木にカカサギが止まっていますが、「喜報三元」という三元合格の喜ばしい報告を意味しています。カカサギは中国語で「喜鵲」といい、名前からおめでたいデザインの中にはよく登場します。
この他にも、さまざまなデザインがありますが、合格を祈る気持ちがこめられています。
現代の日本の受験戦争も厳しいものがありますが、中国の受験戦争は、その上を行っているようです。とはいっても現代の受験戦争は、かつての官吏登用試験「科挙」には遥か及ばないような気がします。その厳しい試験を勝ち抜くことを祈ったデザインがたくさん残されていますので、それをご紹介しましょう。
「連中三元」とは、「三元」に連続合格という意味がこめられています。「三元」とは解元、会元、状元のこと。科挙には郷試、会試、殿試と地方試験から皇帝の御前試験まで三段階の試験があり、その首席合格者がそれぞれ解元、会元、状元といわれます。一挙に「三元」合格。それを祈ったデザインです。
元をいろいろなものであらわしていますが、上は「元宝」、お金、三つの穴あき銭の真ん中を一本の矢が射抜いています。下の真ん中も「元宝」が三つです。中国の金や銀は昔このような形に鋳造されていました。そして下の左右は、丸い茘枝(ライチ)、桂円(龍眼)、胡桃で「円(yuan)」=「元yuan」で三元をあらわしています。一番下のデザインは丸い実が三つなっている木にカカサギが止まっていますが、「喜報三元」という三元合格の喜ばしい報告を意味しています。カカサギは中国語で「喜鵲」といい、名前からおめでたいデザインの中にはよく登場します。
この他にも、さまざまなデザインがありますが、合格を祈る気持ちがこめられています。