燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「ひよこ売り」(燕京歳時記)
二月下旬、街角に鶏やアヒルの雛を呼び売りする姿が見られようになる。
どれも商売繁盛に見える。
北京は景気がよいから、鶏やアヒルの類は日に何万羽と消費されるが、すべて人工飼育されたものであり、自然に育ったものではない。
これらの養殖業者を「鶏鴨屋」といい、朝陽門、東直門の一帯に多く存在する。
訳注
「鶏鴨屋」 とりかもや とでも読んでください。
二月下旬、街角に鶏やアヒルの雛を呼び売りする姿が見られようになる。
どれも商売繁盛に見える。
北京は景気がよいから、鶏やアヒルの類は日に何万羽と消費されるが、すべて人工飼育されたものであり、自然に育ったものではない。
これらの養殖業者を「鶏鴨屋」といい、朝陽門、東直門の一帯に多く存在する。
訳注
「鶏鴨屋」 とりかもや とでも読んでください。
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中国水墨画アニメ:山水情(琴と少年)
小船に乗った古琴を抱えた旅人が船を操る少年に助けられ、少年に琴を教える。旅人は琴を弾けるようになった少年をつれて....
せりふはないので、中国語がわからなくてもOKです。
ちなみに「琴」は古代男性の嗜みとされていた七弦琴のことです。
カンヌ国際アニメーション映画祭栄誉賞受賞作。
小船に乗った古琴を抱えた旅人が船を操る少年に助けられ、少年に琴を教える。旅人は琴を弾けるようになった少年をつれて....
せりふはないので、中国語がわからなくてもOKです。
ちなみに「琴」は古代男性の嗜みとされていた七弦琴のことです。
カンヌ国際アニメーション映画祭栄誉賞受賞作。
日本の春分の日、中国の清明節
春のお墓参り
日本では、「寒さ暑さも彼岸まで」といいますが、冬も過ぎ、暖かくなってきたころお彼岸を迎えます。お彼岸には先祖のお墓参りをして墓掃除をしますが、この春のお彼岸の中日が春分の日です。
暖かくなって、外を出て歩くにもよい時期にお墓参りという行事があるなんてすごいなぁとずっと思っていたのですが、なんと中国にも同じ時期にお墓参りの行事がありました。日本では二十四節気の春分ですが、中国の場合はその半月後の清明節の日(4月4,5日ごろ)です。この日は「掃墓」(お墓掃除の日)で、先祖のお墓参りをします。
清明の日は伝統的に「子供の頭に柳を巻いて、墓参りにいって墓掃除をする」日なのだそうです。日本のお墓参りも中国のお墓参りも特別な違いはありませんが、中国の場合はこの時に紙で作った日用品やあの世で使うというお金を燃やします。
日本ではこの時期欠かせないものが牡丹餅ですが、中国の清明節では「青団」です。青団とは餡を包んだ蓬の団子のことで、日本の草もちのことです。こういうことも似ていますね。
上に、「子供の頭に柳を巻いて」と書きましたが、これは昔の清明節の習慣でした。これは、唐の高宗が、三月三日に渭水のほとりで禊を行い、群臣たちに柳の冠を賜り、「これを頭に戴けばさそりの毒から免れる」と言ったことに始まるそうです。今では残っていない風習のようです。
春分の日に寄せて、中国のお墓参りをご紹介しました。
春のお墓参り
日本では、「寒さ暑さも彼岸まで」といいますが、冬も過ぎ、暖かくなってきたころお彼岸を迎えます。お彼岸には先祖のお墓参りをして墓掃除をしますが、この春のお彼岸の中日が春分の日です。
暖かくなって、外を出て歩くにもよい時期にお墓参りという行事があるなんてすごいなぁとずっと思っていたのですが、なんと中国にも同じ時期にお墓参りの行事がありました。日本では二十四節気の春分ですが、中国の場合はその半月後の清明節の日(4月4,5日ごろ)です。この日は「掃墓」(お墓掃除の日)で、先祖のお墓参りをします。
清明の日は伝統的に「子供の頭に柳を巻いて、墓参りにいって墓掃除をする」日なのだそうです。日本のお墓参りも中国のお墓参りも特別な違いはありませんが、中国の場合はこの時に紙で作った日用品やあの世で使うというお金を燃やします。
日本ではこの時期欠かせないものが牡丹餅ですが、中国の清明節では「青団」です。青団とは餡を包んだ蓬の団子のことで、日本の草もちのことです。こういうことも似ていますね。
上に、「子供の頭に柳を巻いて」と書きましたが、これは昔の清明節の習慣でした。これは、唐の高宗が、三月三日に渭水のほとりで禊を行い、群臣たちに柳の冠を賜り、「これを頭に戴けばさそりの毒から免れる」と言ったことに始まるそうです。今では残っていない風習のようです。
春分の日に寄せて、中国のお墓参りをご紹介しました。
「春分」(燕京歳時記)
春分の前後、大臣たちは宮中の祠(ほこら)を祭り、貴族たちも先祖たちを祭る祠を詣でる。秋分にも同じことが行われる。
『月令広義(げつれいこうぎ)』によれば、「分」とは半分ということで、春(立春から立夏まで)の90日の半分にあたることから「分」、すなわち春分と呼ばれるのである。夏や冬には「分」という言葉が使われない。天地の間に陰陽のニ気が存在しているが、陽は十一月に生じ、五月にもっとも盛んとなる。(つまり陽のもっとも盛んな日が夏至、陰のもっとも盛んな日が冬至となる)この日は、その中間点であるのだ。
春分の前後、大臣たちは宮中の祠(ほこら)を祭り、貴族たちも先祖たちを祭る祠を詣でる。秋分にも同じことが行われる。
『月令広義(げつれいこうぎ)』によれば、「分」とは半分ということで、春(立春から立夏まで)の90日の半分にあたることから「分」、すなわち春分と呼ばれるのである。夏や冬には「分」という言葉が使われない。天地の間に陰陽のニ気が存在しているが、陽は十一月に生じ、五月にもっとも盛んとなる。(つまり陽のもっとも盛んな日が夏至、陰のもっとも盛んな日が冬至となる)この日は、その中間点であるのだ。