燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「八宝模様の巾着」(燕京歳時記)
毎年元旦には、宮廷に出仕する王公大臣から御前に仕える衛兵にいたるまで、八宝模様の巾着を賜り、胸にこれをかける。
しかし各省庁の大臣はこれには預からない。
毎年元旦には、宮廷に出仕する王公大臣から御前に仕える衛兵にいたるまで、八宝模様の巾着を賜り、胸にこれをかける。
しかし各省庁の大臣はこれには預からない。
「元旦」(燕京歳時記)
都では元旦を「大年初一」という。
毎年元旦には、夜中に香を焚き、神を迎え、爆竹を鳴らして拝礼をする。
爆竹の音は巷中に響き渡り、休むことなく続く。
神迎えのあとは、王公や官僚は朝廷に出向いて、皇帝に拝賀する。
皇帝への拝賀が終わった後、親戚や友人に年始の挨拶をする。
これを年始まわりという。
親しい間柄であれば家に上がるが、あまり親しくない間柄だと名刺だけの挨拶となる。
このとき道と言う道には、多くの官僚達が行き交う姿が見うけられ、「車如流水、馬如游龍(車は水が流れるようで、馬は龍が泳いでいるようだ)」といったところ。
天下泰平の風景だ。
この日、身分階級を問わず、みな小麦粉をねって餃子を作り、食べる。
これはぼーぼーという蒸し菓子で、国中の人達すべてが同様に食べる。
金持ちの家では、密かに小粒の金銀宝石などを餃子のなかに入れ、それを一種の運勢占いにする。
家族の中で金銀宝石の入った餃子を食べた人に、その年一年は大吉、幸運なのだ。
『荊楚歳時記』には
と書かれている。
また『玉燭宝典』には
都では元旦を「大年初一」という。
毎年元旦には、夜中に香を焚き、神を迎え、爆竹を鳴らして拝礼をする。
爆竹の音は巷中に響き渡り、休むことなく続く。
神迎えのあとは、王公や官僚は朝廷に出向いて、皇帝に拝賀する。
皇帝への拝賀が終わった後、親戚や友人に年始の挨拶をする。
これを年始まわりという。
親しい間柄であれば家に上がるが、あまり親しくない間柄だと名刺だけの挨拶となる。
このとき道と言う道には、多くの官僚達が行き交う姿が見うけられ、「車如流水、馬如游龍(車は水が流れるようで、馬は龍が泳いでいるようだ)」といったところ。
天下泰平の風景だ。
この日、身分階級を問わず、みな小麦粉をねって餃子を作り、食べる。
これはぼーぼーという蒸し菓子で、国中の人達すべてが同様に食べる。
金持ちの家では、密かに小粒の金銀宝石などを餃子のなかに入れ、それを一種の運勢占いにする。
家族の中で金銀宝石の入った餃子を食べた人に、その年一年は大吉、幸運なのだ。
『荊楚歳時記』には
正月一日には前庭で爆竹を鳴らし、山そうなどといった悪鬼を払う
と書かれている。
また『玉燭宝典』には
正月一日を元日とする。また三元ともいうが、それは年の元(はじめ)、時のはじめ、月のはじめの三つの元(はじめ)、を意味している。
「神迎え」(燕京歳時記)
除夜の神迎えの後は新年となる。
最初に外に出たときには、必ず喜神を迎えて拝礼する。
除夜の神迎えの後は新年となる。
最初に外に出たときには、必ず喜神を迎えて拝礼する。
「年送りの挨拶」(燕京歳時記)
大晦日に正装をして、親戚や友人を訪ねることを年送りの挨拶という。
家族が家長に正式に挨拶をすることも年送りの挨拶という。
新婚者は必ず、妻の実家を訪ねて年送りの挨拶をする。
これを行わなければ礼儀知らずといわれる。
大晦日に正装をして、親戚や友人を訪ねることを年送りの挨拶という。
家族が家長に正式に挨拶をすることも年送りの挨拶という。
新婚者は必ず、妻の実家を訪ねて年送りの挨拶をする。
これを行わなければ礼儀知らずといわれる。