燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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数九とは、簡単に言うと、九数えるということです。冬至から九九八十一日間のことをいいます。
最初の九日を「一九(イージュゥ)」、次の九日を「二九(アルジュゥ)」というように呼び、最後の九日を「九九(ジュゥジュゥ)」といいます。そしてこの81日間が過ぎることを「出九(チュゥジュゥ)」といいます。
この期間を歌った数え歌があり、その歌を歌って、春を待ち焦がれていたことがよくわかります。
この種の唄ですが、ここには二つ上げましたが、違った歌詞のものがいくつもあるようです。
さて、この季節の習慣ですが、冬至の午前中には「ワンタン」を食べるのだそうです。ワンタンは天地が混沌としている状態の象徴だそうで、天地が分かれたのが冬至だという言い伝えによるといわれています。
また、夜には鍋物を食べるのだそうです。一九、二九……八九、九九の初日と81日目には鍋物を食べる習慣があって、毎回違った鍋をつついていたようです。ただ、一九と81日目は決まりがあり、一九である冬至は羊のしゃぶしゃぶ、そして81日目は一品鍋を食べることになっていたそうです。
またこの期間、「消寒図」を描くという習慣がありますが、こちらは別途紹介していますので、そちらをご覧ください。
冬至から九九八十一日が過ぎると啓蟄が過ぎたころで、間もなく春分です。
参考:消寒図
最初の九日を「一九(イージュゥ)」、次の九日を「二九(アルジュゥ)」というように呼び、最後の九日を「九九(ジュゥジュゥ)」といいます。そしてこの81日間が過ぎることを「出九(チュゥジュゥ)」といいます。
この期間を歌った数え歌があり、その歌を歌って、春を待ち焦がれていたことがよくわかります。
一九二九不算九、三九四九凍死猫狗。
五九六九楊花看、七九開河、八九雁来。
九九八十一家裏作飯地裏吃。
一九、二九はまだ数九とは言えない。三九、四九で犬猫が寒くて死ぬ。
五九、六九で、柳が芽吹き、七九河が開いて、八九で雁が来る。
九九八十一で家で飯を作り、畑で食べる。
一九二九不出手、三九四九冰上走。
五九六九河辺看柳、七九開河、八九燕来。
九九加一九耕牛編地走。
一九、二九は手が出せない、三九、四九で氷の上が歩ける。
五九、六九には川辺で柳が見れて、七九で河が開き、八九に燕が来る。
九九にもう九日足したら、牛があちこち耕している。
この種の唄ですが、ここには二つ上げましたが、違った歌詞のものがいくつもあるようです。
さて、この季節の習慣ですが、冬至の午前中には「ワンタン」を食べるのだそうです。ワンタンは天地が混沌としている状態の象徴だそうで、天地が分かれたのが冬至だという言い伝えによるといわれています。
また、夜には鍋物を食べるのだそうです。一九、二九……八九、九九の初日と81日目には鍋物を食べる習慣があって、毎回違った鍋をつついていたようです。ただ、一九と81日目は決まりがあり、一九である冬至は羊のしゃぶしゃぶ、そして81日目は一品鍋を食べることになっていたそうです。
またこの期間、「消寒図」を描くという習慣がありますが、こちらは別途紹介していますので、そちらをご覧ください。
冬至から九九八十一日が過ぎると啓蟄が過ぎたころで、間もなく春分です。
参考:消寒図
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北京の冬は寒さが厳しいので、人々は春を待ち焦がれます。当時から九九八十一日を指折り数え(「数九」といいます)、昔の人は春を待ちました。その春を思う心が、こんな風流な遊びを生みました。
「亭前垂柳珍重待春風(ていぜんのたれやなぎ、ちんじゅうにはるかぜをまつ)」という春を待ち望む一句を冬至から毎日一画ずつ書いていくのです。九文字はすべて9画の漢字です。「垂」は 右の図のように書いてください。そうしないと9画になりません。
写真は故宮に残る清朝の道光皇帝の筆によるものです。
女性用には九枚の花弁の花が九輪の絵が用いられました。毎朝のお化粧のあと、紅の残りで花弁を1枚1枚染めたのだそうです。
そのように、人々は春を待ち焦がれるという風流な習慣があります。
これ以外にも、いろいろな消寒図があるので、機会があったらご紹介したいと思います。
関連項目:数九
「亭前垂柳珍重待春風(ていぜんのたれやなぎ、ちんじゅうにはるかぜをまつ)」という春を待ち望む一句を冬至から毎日一画ずつ書いていくのです。九文字はすべて9画の漢字です。「垂」は 右の図のように書いてください。そうしないと9画になりません。
写真は故宮に残る清朝の道光皇帝の筆によるものです。
女性用には九枚の花弁の花が九輪の絵が用いられました。毎朝のお化粧のあと、紅の残りで花弁を1枚1枚染めたのだそうです。
そのように、人々は春を待ち焦がれるという風流な習慣があります。
これ以外にも、いろいろな消寒図があるので、機会があったらご紹介したいと思います。
関連項目:数九
梅の「消寒図」は斉魯膳芸ネット
から
「九九の消寒図」(燕京歳時記)
消寒図には、九格八十一圏、つまり九つの方形の中にそれぞれ九つの丸が描かれている。冬至から毎日一つの丸を塗っていく。曇りの日には上半分を、晴れの日には下半分、風の日には左半分、雨の日には右半分を塗り、雪の日には真中を染める。
『帝京景物略』には、冬至に人々の家では白い梅の枝を一本描く。梅の花の花弁は全部で八十一枚にする。そして毎日一枚の花弁を染めていく。白い花弁がなくなり、九九・八十一日を過ぎればもう春は深まっている。これを九九の消寒図という。と書かれている。
筆者も幼いころに書いた覚えがあるが、昔からの習慣をしらずしらずに行っていたわけだ。
消寒図には、九格八十一圏、つまり九つの方形の中にそれぞれ九つの丸が描かれている。冬至から毎日一つの丸を塗っていく。曇りの日には上半分を、晴れの日には下半分、風の日には左半分、雨の日には右半分を塗り、雪の日には真中を染める。
(画像は参考用に2009年冬至からのお天気が記入されているものですby:ぽんず)
『帝京景物略』には、冬至に人々の家では白い梅の枝を一本描く。梅の花の花弁は全部で八十一枚にする。そして毎日一枚の花弁を染めていく。白い花弁がなくなり、九九・八十一日を過ぎればもう春は深まっている。これを九九の消寒図という。と書かれている。
(画像はの梅の花にはローマ数字が入っていますが、これは花の数をわかりやすきしたためで、参考用です by:ぽんず)
筆者も幼いころに書いた覚えがあるが、昔からの習慣をしらずしらずに行っていたわけだ。
「冬至」(燕京歳時記)
冬至は天を祭る節句だ。官僚達は皇帝に祝賀の意を表す。
一般には特に祭りは行わず、夏至に麺を食べるように、この日には餛飩(ワンタン)を食べる。
だから都には「冬至にワンタン、夏至に麺」ということわざがある。
『漢書』には
と書かれている。
また『演繁露』には、
と書かれているが(中国語では餛飩と渾沌は同じ発音(フンドゥン))、特に言及する価値があるものでもない。
ワンタンは形が鶏卵に似ていて天地が渾沌としていた時代の形に似ているといわれている。そのことから冬至にワンタンを食べるのだ。もし『演繁露』に書かれていることが正しかったら、何が"餛"でなにが"飩"なのだろか。説明になっていないと思う。
冬至は天を祭る節句だ。官僚達は皇帝に祝賀の意を表す。
一般には特に祭りは行わず、夏至に麺を食べるように、この日には餛飩(ワンタン)を食べる。
だから都には「冬至にワンタン、夏至に麺」ということわざがある。
『漢書』には
冬至には陽気が起き、君主の治道も長ずるということで慶賀する。しかし夏至には陰気が起きるので慶賀を行わない
と書かれている。
また『演繁露』には、
ワンタンは塞外つまり長城の北の渾氏と沌氏が作ったものだ
と書かれているが(中国語では餛飩と渾沌は同じ発音(フンドゥン))、特に言及する価値があるものでもない。
ワンタンは形が鶏卵に似ていて天地が渾沌としていた時代の形に似ているといわれている。そのことから冬至にワンタンを食べるのだ。もし『演繁露』に書かれていることが正しかったら、何が"餛"でなにが"飩"なのだろか。説明になっていないと思う。
故宮の12月のカレンダー壁紙
故宮博物院のサイトで毎月UPしている、
カレンダーの壁紙です。
「蕭瑟」と題されていました。
ほんとそんな感じですね...
ほかにもいろいろな壁紙がダウンロードできます。
興味のある方は、どうぞ!
故宮博物院 → 紫禁城時空
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