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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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寒くなると、寝床に湯たんぽを入れたりしますが、
この湯たんぽ... 実はもともと中国から伝わったものです。
中国の湯たんぽはこういう形です。
金属製やら、陶製のものがあります。



湯たんぽ... これを漢字で書くと、「湯湯婆」となり
「湯婆」が”たんぽ”なんです。

名前の由来は、抱いて寝ると暖かい... お湯のなんとやら... といったところでしょうか。

ちなみに中国には、夏用の、抱いて寝ると涼しい「竹婦人」というものがありました。
ご参考までに...
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寒いときには、手だけでも温めたいもの。
そんなときに使ったのが、携帯行火(手炉)です。

日本のカイロに比べて、持ち歩きに便利だとは思いませんが、
お金持ちのダンナなどが、手にしていたと思うと、ちょっと意気に感じてしまいます。

黒っぽくて、模様などは見えないのですが、
こうもり(福を意味する)、四君子(竹、梅、蘭、松)などが模様になっています。
私は、香炉に使っています。
天の原ふりさけ見れば春日なる

              三笠の山に出でし月かも

日本人なら百人一首でもおなじみのこの歌はご存知でしょう。これは遣唐使として唐に渡り、玄宗、肅宗、代宗の三人の皇帝に仕えた安倍仲麻呂が詠んだうたです。

ところでこの歌に詠まれている月、いつの季節の、どんな月かご存知ですか?

実は私、長い間、中秋の名月を詠んだものと思っていました。(^^ゞ

それが、中秋の名月について調べていたときに、実はこの月は満月ではあったけれど、季節が違う!ということが判明したのです。

この歌は、仲麻呂が、玄宗のお許しが出て、日本へ帰る船に乗る前に詠んだと伝えられています。それは天寶十二年十一月十六日だったといいます。もともと十五日に明州(浙江省寧波の南)から出向予定だったらしいのですが、1羽の雉が第1船の前を飛んだことを理由に(縁起のよくないことだったのでしょうか)十六日に延期になったとか。そして出向に際し、仲麻呂が詠んだ歌がこの歌だったのです。

ということは、この歌は仲秋(八月)ではなく仲冬(十一月)に詠まれた歌だったんですね。天寶十二年十一月十六日を調べてみると(便利なことに、こういうことが調べられるサイトがあるんですよねぇ)西暦では753年12月15日でした。ということは当時前の初冬の寒い時期の満月だったんですね。詳しく言うと十六日ということは「いざよい」つまり満月次の日だったわけですが、詳しくこの日の月の形を考察した人のホームページによりますと、15.3日でこの月が形としては満月だったとのことです。暦と実際の月の形は微妙にずれていますから。というわけで、仲麻呂が歌に詠んだ月は仲冬の満月でだったということです。

ネットで関帝廟ができるサイトを見つけました。

「中国関帝網」(中国関帝ネット)
「神游関帝廟」

関羽の出身地の河東・解県(現・山西省運城市塩湖区解州鎮)にある解州関帝廟にお参りができます。

そして、関羽像に参拝もできます。


興味のある方は参拝してみてください。
「頭に当たる月」(燕京歳時記)

十一月十五日の月は、頭に当たる。
(つまりこの日の月の軌道は天の中心にあたる)

月が照らしたとき塔の影は天辺がなく、人の影も短い。
女子供や物好きな人達は眠らずに月が天の中心に来るのを待ち、影をうつして月が頭に当たるのを確かめてみている。


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