燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
李華さんのいま話、むかし話 ☆ 修理屋さんが減ったわねぇ..
息子の、ダウンジャケットのファスナーが壊れた。
壊れたといってもツマミの部分だけで、それ以外はまだ大丈夫。それに、ダウンも結構上質の物を買ったので、出来たらファスナーだけでも取り替えたかった。そこでいつものように、李華さんに相談した。
「ファスナーだけ、取り換えられないかな?」
「最近、ミシンを外に出して衣類の補修してくれる人、少なくなったけれど...大丈夫。探してみるわ!」
そして次の日。。
「うちの近所に、一人いたわ。つまみの部分だけだから、本体の部分はそのままで、つまみの部分だけ交換してもらったの。7元よ。これはリバーシブルだから、ちょっと高いんだって。」
といって、付け替えてもらってきてくれた。
「最近は、靴の修理とか、衣類の補修とか、そとで簡単にやってくれる人、少なくなったわねぇ。」
と、李華さん。
「昔はたくさんいたのに。」
ちょっと前まで、細い通りなんかにはたいてい、各種の修理屋さんが、軒を並べるというより、道具を並べただけでたくさんいた。
「今は、探さなきゃいけなくなったわ」
確かに、驚くほどそういう人達は減ってしまった。
「直さないで買えってことなのかしらね。そういう人達がいないと、ちょっとダメになっただけでも、捨てなきゃいけないじゃない。」
そうだ、私の、かかとが磨り減ったのではなく、いびつにつぶれてしまったブーツも、彼女は「ダメモト」といって持って帰って直してきてくれた。
「まだまだ探せばいるけれど、あと数年経ったらどうなる事やら。それに、新しい場所にはそういう人達が本当にいないんだって。修理なんてやってくれる人は、他所の人が多いからね。」
こんなふうに毎回、あれやこれや、直しに持っていってくれる李華さん。
「主人のダウンのファスナーが壊れたのよ。それで、このまえ直してくれた人のところに行ったの。ところがなんと、いなかったのよ。もう真っ青になったわ。せっかく、良い人見つけたと思っていたのに。そしたらね、春節で田舎に帰っていたんだって。間が悪かっただけでよかったわ。」
ウチに来て、笑いながら報告してくれた。
「これで、しばらくは安心ね」
息子の、ダウンジャケットのファスナーが壊れた。
壊れたといってもツマミの部分だけで、それ以外はまだ大丈夫。それに、ダウンも結構上質の物を買ったので、出来たらファスナーだけでも取り替えたかった。そこでいつものように、李華さんに相談した。
「ファスナーだけ、取り換えられないかな?」
「最近、ミシンを外に出して衣類の補修してくれる人、少なくなったけれど...大丈夫。探してみるわ!」
そして次の日。。
「うちの近所に、一人いたわ。つまみの部分だけだから、本体の部分はそのままで、つまみの部分だけ交換してもらったの。7元よ。これはリバーシブルだから、ちょっと高いんだって。」
といって、付け替えてもらってきてくれた。
「最近は、靴の修理とか、衣類の補修とか、そとで簡単にやってくれる人、少なくなったわねぇ。」
と、李華さん。
「昔はたくさんいたのに。」
ちょっと前まで、細い通りなんかにはたいてい、各種の修理屋さんが、軒を並べるというより、道具を並べただけでたくさんいた。
「今は、探さなきゃいけなくなったわ」
確かに、驚くほどそういう人達は減ってしまった。
「直さないで買えってことなのかしらね。そういう人達がいないと、ちょっとダメになっただけでも、捨てなきゃいけないじゃない。」
そうだ、私の、かかとが磨り減ったのではなく、いびつにつぶれてしまったブーツも、彼女は「ダメモト」といって持って帰って直してきてくれた。
「まだまだ探せばいるけれど、あと数年経ったらどうなる事やら。それに、新しい場所にはそういう人達が本当にいないんだって。修理なんてやってくれる人は、他所の人が多いからね。」
こんなふうに毎回、あれやこれや、直しに持っていってくれる李華さん。
「主人のダウンのファスナーが壊れたのよ。それで、このまえ直してくれた人のところに行ったの。ところがなんと、いなかったのよ。もう真っ青になったわ。せっかく、良い人見つけたと思っていたのに。そしたらね、春節で田舎に帰っていたんだって。間が悪かっただけでよかったわ。」
ウチに来て、笑いながら報告してくれた。
「これで、しばらくは安心ね」
2003/03/14
PR
この文章はメールマガジン≪ WEB 熱線 ≫ ** アジアの街角から **で連載したものです。
帰国のため10回で連載終了となりました。
◇2003/03/14 少なくなった修理屋さん
◇2003/03/21 突然の野菜の高騰
◇2003/03/28 李華さんの家
◇2003/04/04 李華さんの家-2
◇2003/04/11 5分銭
◇2003/04/18 纏足
◇2003/05/09 「非典」の中での生活
◇2003/05/16 高考
◇2003/05/23 何も出来なくても大丈夫!?
◇2003/05/30 日本人のイメージ
李華さん
ぽんず家に通いで来てくれていたお手伝いさん。
”前門”の鮮魚口胡同近くの古くからの家に住む北京っ子。
家事の合間に、北京の習慣などを教えてくれました。
帰国のため10回で連載終了となりました。
◇2003/03/14 少なくなった修理屋さん
◇2003/03/21 突然の野菜の高騰
◇2003/03/28 李華さんの家
◇2003/04/04 李華さんの家-2
◇2003/04/11 5分銭
◇2003/04/18 纏足
◇2003/05/09 「非典」の中での生活
◇2003/05/16 高考
◇2003/05/23 何も出来なくても大丈夫!?
◇2003/05/30 日本人のイメージ
李華さん
ぽんず家に通いで来てくれていたお手伝いさん。
”前門”の鮮魚口胡同近くの古くからの家に住む北京っ子。
家事の合間に、北京の習慣などを教えてくれました。
私が留学したころにはまだずいぶん見かけが、四半世紀が経ち、見かけることがなくなったものの一つに、おばあちゃんの小さな足がある。
小さな足のおばあちゃんは、昔風のチャイナカラーの木綿のブラウス(色はたいてい薄い灰色)に黒っぽい色のズボン。そしてちょっと代わった布靴をはいている。そして、外股にヨチヨチと歩いている。初めて見たとき「あ、これが纏足した足なんだ」と心に痛みを感じながら目をそらしたことを覚えている。
李華さんの思い出話だ。彼女のお母さんは子供も少なく、だから甘やかされて、その時代の風潮もあってちょっとだけ足を縛っただけですんだという。だけど、普通の足の形はしていなかったと。そして彼女の四合院に間借りをしている80歳近くのおばあちゃんはやっぱり小さい足をしている。
もう数年経ったら、消えてしまうであろう、今でも残る、昔の弊習の名残。
足をこのように矯正していた。
東方書店出版
「チャイニーズグラフィティ」より
小さな足のおばあちゃんは、昔風のチャイナカラーの木綿のブラウス(色はたいてい薄い灰色)に黒っぽい色のズボン。そしてちょっと代わった布靴をはいている。そして、外股にヨチヨチと歩いている。初めて見たとき「あ、これが纏足した足なんだ」と心に痛みを感じながら目をそらしたことを覚えている。
足の親指だけを残し、ほかの指を内側に曲げて、長い布で縛るの。つま先からか、踵からかは知らないけど。その足は、本当に「三寸金蓮」(10cmほどの蓮の花びら)。本当に小さいの。だけど、そんな足も成長するから、足の甲は厚いわよ。とっても不思議な形をしている。
足を縛り始めたころ、痛くても痛くても、足を縛ったばかりじゃなくて、痛みをこらえながら歩かされたということよ。それでも嫁に行けないとなると、大問題だから。だって、何を見るよりもまず、足を見られたらしい。それにね。私の母は、ちょっとだけ縛ったけれど、止めたの。そう言う自由な風潮もある時代だったから。でも姑にはずっと影で言われつづけていたわ。「足が大きいのに」って。
祖母は、死ぬときに履く靴を自分で作っていたの。とても素敵な蓮の葉なの刺繍をした紺色の靴だった。子供心に「もったいないなぁ」って思ったのを覚えているわ。
李華さんの思い出話だ。彼女のお母さんは子供も少なく、だから甘やかされて、その時代の風潮もあってちょっとだけ足を縛っただけですんだという。だけど、普通の足の形はしていなかったと。そして彼女の四合院に間借りをしている80歳近くのおばあちゃんはやっぱり小さい足をしている。
祖母がね、友達3人で天安門のあたりにお散歩に行くの。その3人とも纏足で。ヨチヨチ歩きなのね。その姿、なんとも言いようがなかったわ。
それから、その3人がときどき足の品評をしているのよ。(笑)
足を洗うときは、そりゃ大変だったわよ。骨から曲げた足を隅々まで洗うんだから。なんて手間がかかるんだろうって思ってみていたわ。
もう数年経ったら、消えてしまうであろう、今でも残る、昔の弊習の名残。
足をこのように矯正していた。
東方書店出版
「チャイニーズグラフィティ」より
文人の描いた旧都・北京 謝冰瑩 『北平之恋』より
おおよそ北平を訪れたことのある人は、彼女について深い印象をだれもが持っているだろう。北平を離れて後も、しばしば彼女を思い起こさない人はいないだろう。
北平は、人それぞれにとっての恋人のようで、また母親のようだ。そんな彼女は一種の不可思議な魔力で他所から来た旅人たちを惹きつけている。北平に住んでいるときにはまだ何とも感じないが、一旦離れると、すぐさま何とも言いようのない彼女への思いがわきあがってくるのだ。どこに行ったとしても、いつも北京より良いところはないと感じてしまう。……
[中略]
……北平は純朴だ。私達がどこでなにをしても、どこに住んでも、何の気なしに古い破れた服を着たとしても、人々の嘲笑を買いはしない。出かけるときに車に乗らず歩いても、家に帰ってトウモロコシの粉で作った麺を食べようが、高粱の饅頭を食べようが、皮肉を言う人はだれもいない。だから北平を訪れた人はだれもが、貧富を問わずに彼女を賛美し、恋しく思うのだ。
謝冰瑩 (1906-2000): 湖南省出身の女流作家。北伐に参加、「従軍日記」を発表。1935年には早稲田大学に留学するも、半日分子として逮捕される。中国に戻り、抗日戦線に参加、「抗戦日記」を著す。教鞭を各地でとった後、1948年台湾へ、師範大学で教鞭をとる。退職後アメリカにわたり、アメリカで死去。代表作は「女兵自伝」。
「ある女性兵士の自伝」、「二つの家庭」が日本語訳されており、「中国現代文学珠玉選・小説3 女性作家選集」(二玄社、2001.3.20出版)で読むことができます。
”大好きな北京”
おおよそ北平を訪れたことのある人は、彼女について深い印象をだれもが持っているだろう。北平を離れて後も、しばしば彼女を思い起こさない人はいないだろう。
北平は、人それぞれにとっての恋人のようで、また母親のようだ。そんな彼女は一種の不可思議な魔力で他所から来た旅人たちを惹きつけている。北平に住んでいるときにはまだ何とも感じないが、一旦離れると、すぐさま何とも言いようのない彼女への思いがわきあがってくるのだ。どこに行ったとしても、いつも北京より良いところはないと感じてしまう。……
[中略]
……北平は純朴だ。私達がどこでなにをしても、どこに住んでも、何の気なしに古い破れた服を着たとしても、人々の嘲笑を買いはしない。出かけるときに車に乗らず歩いても、家に帰ってトウモロコシの粉で作った麺を食べようが、高粱の饅頭を食べようが、皮肉を言う人はだれもいない。だから北平を訪れた人はだれもが、貧富を問わずに彼女を賛美し、恋しく思うのだ。
1947年秋北平にて
謝冰瑩 (1906-2000): 湖南省出身の女流作家。北伐に参加、「従軍日記」を発表。1935年には早稲田大学に留学するも、半日分子として逮捕される。中国に戻り、抗日戦線に参加、「抗戦日記」を著す。教鞭を各地でとった後、1948年台湾へ、師範大学で教鞭をとる。退職後アメリカにわたり、アメリカで死去。代表作は「女兵自伝」。
「ある女性兵士の自伝」、「二つの家庭」が日本語訳されており、「中国現代文学珠玉選・小説3 女性作家選集」(二玄社、2001.3.20出版)で読むことができます。
テキストは:
「北京乎・現代作家筆下的北京(1919-1949)」
三聯書店
「北京乎・現代作家筆下的北京(1919-1949)」
三聯書店
昔、汝南に桓景という人がおりました。年老いた両親、妻、そして多くの子供達に囲まれ、幾ばくかの田畑しかないものの、真面目に働き、貧しいながらも幸せに暮らしていました。ところが、不幸は突然やってきました。汝河あたりで疫病がはやり、多くの人が病に倒れ、多くの人達が命を落としました。遺体は野ざらしのまま、埋葬する人もありませんでした。そんなある年桓景の両親もこのはやり病でなくなりました。
桓景は幼いころ、年寄り達から聞いた話を思い出しました。汝河のあたりには一人の厄病神が住んでいて、行ったり来たりしている。そしてその病魔が行ったり来たりした場所で疫病が流行るのだと。病が治ったあと桓景は仙術を学び、病魔を退治する決心をしました。東南山に有名な費長房という大仙人がいると聞き、訪ねる準備を整え、出発しました。
山は幾重にも連なり、仙人がどこに住んでいるのか見当もつきません。桓景は、疲れをものともせず、山を越え、谷を越え、仙人を探し回りました。ある日、桓景は雪のように白い鳩が目の前にいるのに気がつきました。その鳩は桓景に向かって、首を振っていました。桓景はなにか自分に言いたいことでもあるのだろうと考えました。すると鳩は飛び立ち、しばらく飛ぶと桓景に首を振って見せます。桓景が近づくとまた飛び立ちます。桓景は鳩について歩いていきました。いくつかの山を越えると松の古木が生い茂りる仙境に至りました。鳩が飛びまわっているところにふるい廟がありました。「費長房仙居」という額が門にはかけられていました。桓景は硬く閉ざされたままの門の前にひざまずきました。そしてそのままの姿で二日二晩を過ごしました。三日目に突然門が開き、白髭の老人が出てきて言いました。「おまえが大衆を救おうと言う気持ちはよくわかった、中に入りなさい」桓景はこの老人が費長房であることに気がつき、何度も頭を下げるとこの仙人について中に入っていきました。
費長房は桓景に一振の青龍剣を与え、朝早くから夜遅くまで修行をさせました。ある日、桓景が修行をしておりますとがやってきて「今年の九月九日、汝河に病魔がまた現れる。おまえは故郷に戻り民を救いなさい。おまえに茱萸の葉と菊花酒を与える。民を高い所に避難させ何を逃れるように」といいました。そして柏の古木を指差すとそこに鶴が飛んできて、桓景の前に舞い降りました。桓景は鶴にまたがり、故郷の汝南を目指しました。
桓景は家に戻ると、皆を集め、仙人の話をしました。そして九月九日、近所の山に登り、難を避けるために茱萸の葉を皆の体につけさせ、菊花酒を一口ずつ飲ませました。そして自分は青龍剣を身につけ家に戻り一人、病魔がやってくるのを待ちました。
突然、汝河から不気味な風が巻き起こり、唸り声と共に病魔が村に上がってきました。しかし村には人っ子一人いませんでした。ふとみると村人達は山の上に集まっています。ふもとまでたどり着いたものの、酒と茱萸の香りに鼻や胸がやられ山に登ることが出来ません。病魔は村に戻ると、一人の男が家の中で座しているのを見つけました。飛びかかろうとする病魔を桓景は青龍剣で迎え撃ちます。なかなか勝負がつかず、病魔が逃げようとした所、桓景が剣を投げ、剣が病魔の腹に突き刺さり、倒れふしました。
これ以後、汝河料岸の民は二度と病魔に犯されることがなくなりました。人々は桓景をたたえ、九月九日には高いところにのぼるのが習慣として伝わったのでした。
桓景は幼いころ、年寄り達から聞いた話を思い出しました。汝河のあたりには一人の厄病神が住んでいて、行ったり来たりしている。そしてその病魔が行ったり来たりした場所で疫病が流行るのだと。病が治ったあと桓景は仙術を学び、病魔を退治する決心をしました。東南山に有名な費長房という大仙人がいると聞き、訪ねる準備を整え、出発しました。
山は幾重にも連なり、仙人がどこに住んでいるのか見当もつきません。桓景は、疲れをものともせず、山を越え、谷を越え、仙人を探し回りました。ある日、桓景は雪のように白い鳩が目の前にいるのに気がつきました。その鳩は桓景に向かって、首を振っていました。桓景はなにか自分に言いたいことでもあるのだろうと考えました。すると鳩は飛び立ち、しばらく飛ぶと桓景に首を振って見せます。桓景が近づくとまた飛び立ちます。桓景は鳩について歩いていきました。いくつかの山を越えると松の古木が生い茂りる仙境に至りました。鳩が飛びまわっているところにふるい廟がありました。「費長房仙居」という額が門にはかけられていました。桓景は硬く閉ざされたままの門の前にひざまずきました。そしてそのままの姿で二日二晩を過ごしました。三日目に突然門が開き、白髭の老人が出てきて言いました。「おまえが大衆を救おうと言う気持ちはよくわかった、中に入りなさい」桓景はこの老人が費長房であることに気がつき、何度も頭を下げるとこの仙人について中に入っていきました。
費長房は桓景に一振の青龍剣を与え、朝早くから夜遅くまで修行をさせました。ある日、桓景が修行をしておりますとがやってきて「今年の九月九日、汝河に病魔がまた現れる。おまえは故郷に戻り民を救いなさい。おまえに茱萸の葉と菊花酒を与える。民を高い所に避難させ何を逃れるように」といいました。そして柏の古木を指差すとそこに鶴が飛んできて、桓景の前に舞い降りました。桓景は鶴にまたがり、故郷の汝南を目指しました。
桓景は家に戻ると、皆を集め、仙人の話をしました。そして九月九日、近所の山に登り、難を避けるために茱萸の葉を皆の体につけさせ、菊花酒を一口ずつ飲ませました。そして自分は青龍剣を身につけ家に戻り一人、病魔がやってくるのを待ちました。
突然、汝河から不気味な風が巻き起こり、唸り声と共に病魔が村に上がってきました。しかし村には人っ子一人いませんでした。ふとみると村人達は山の上に集まっています。ふもとまでたどり着いたものの、酒と茱萸の香りに鼻や胸がやられ山に登ることが出来ません。病魔は村に戻ると、一人の男が家の中で座しているのを見つけました。飛びかかろうとする病魔を桓景は青龍剣で迎え撃ちます。なかなか勝負がつかず、病魔が逃げようとした所、桓景が剣を投げ、剣が病魔の腹に突き刺さり、倒れふしました。
これ以後、汝河料岸の民は二度と病魔に犯されることがなくなりました。人々は桓景をたたえ、九月九日には高いところにのぼるのが習慣として伝わったのでした。