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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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九月九日の重陽の節句には、菊花酒を飲む習慣があります。

もっとも簡単な、菊花酒の造り方を紹介します。


材料:
白菊花(漢方薬などに用いる菊) 50g
 この菊は、カモミールのような感じです。
度数の低いお酒 500ml
 この酒は、もともと菊花種はお米と菊の花で作ったらしいので、
 日本酒でOKだと思います。

摘んだ菊は洗って乾かし、さらしの袋に入れてお酒に浸します。
2~3日でしたら出来上がり。

ほかにいろいろな薬草などを入れる作り方もありますが、
純粋な一番簡単な、菊花酒の造り方です。

興味のある方は、重陽のお節句のちょっと前にご準備くださいませ。
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花菓子には二つの種類がある。

一つは、小麦粉と砂糖で作ったもので、間に果物をはさみ、二段か三段重ねになっているもの。これは花菓子の上等なものだ。

もう一つは、蒸した餅の上にたくさんの棗や栗を飾ったもの。これは二級品。

重陽のために菓子屋ではあらかじめ作っておいて、これらを売りに出す。

『析津志』には
九月九日、都の人は小麦粉で菓子を作り、それを重陽の贈り物にする。また巷では莚の上に並べて売られた。
と書かれていて、現在と同じだった様子がうかがえる。

『帝京景物略』には
小麦粉で作った餅の上に棗や栗を星の如く並べたものを花菓子という。この菓子を売る店は華やかな旗を立てて看板とした。嫁に出した娘が家に帰り両親と共にこれを食べる習慣があったので、女の節句ともいう。
と書いている。今は、華やかな旗を立てて看板とする習慣も、嫁に行った娘が帰ってきて一緒にこれを食べる習慣もなく、意味合いは変わっている。

釣魚台は阜成門外1.5kmにある。南向きに行宮がある。例年重陽には都の少年達が集まり競馬をする。普通、ここは望海楼と呼ばれている。

『日下旧聞考』によれば、
釣魚台は三里河の西北の方、500mのところにある。金の天子が遊んだところである。釣魚台の前には泉水が沸き、一年中涸れることがない。西山山麓から流れ出る川の水がすべてここに集まるのだ。元の時代、ここは玉淵潭といい、丁氏の庭園であった。清の乾隆二十八年あたりを掘って香山から新たに水を引き湖をつくった。また水量調節のための水門を設た。湖の水と、ここで合流した河の水は、三里河から阜成門に至り、北京のお堀の水となっている。乾隆三十九年、初めて台座の修築が行われ、皇帝自ら「釣魚台」の文字を書き、西側に飾った。
と記されている。

皇帝が西陵に参るときと御苑から出向き天壇で祭祀を執り行うときにはここでいつも朝食をとった。台座の左手は養源斎、瀟碧亭などがすばらしい景色をかもし出している。




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訳注:

釣魚台:現在は、中国の国賓を迎える迎賓館の別称のようになっています。
都では、重陽を九月九という。例年、九月九日には急須や酒器を携えて小高い場所に登る。南は、天寧寺、陶然亭、龍爪槐など、北は薊門烟樹、清浄化城など。遠くでは西の西山八刹など。詩を読み、酒を飲み、肉を焼いてたべ、菓子を分けて楽しむ。まさに、一時の快楽だ。

『日下旧聞考』には、
天寧寺は、広寧門の外、1kmにある。塔の高さは80m。隋仁寿二年に建てられ、仏舎利が安置された。寺の名前は北魏では光林寺、隋では宏業寺、唐では天王寺、金では大萬安寺と変わり、前王朝の明宣徳中期に天寧寺と改称された。清の乾隆二十一年に改修したが、以前からの名前を残し、天寧寺とした。
と書かれている。

陶然亭は、正陽門の外西南の黒窰廠(こくようしょう)の慈悲菴にある。康煕乙亥の年に建設省の役人江藻が建てた。

龍爪槐は、興盛地の別称で、陶然亭の西北の方向を一望すればすぐわかる場所にある。しかしこの寺について、『日下旧聞考』には記載がない。寺には塔が二つあり、そこから遠くを眺めることができる。龍爪槐の由来の木は、すでにない。

薊門烟樹は、徳勝門外、土城の関門にある。昔の薊邱の場所だといわれているが、かつてはあったという楼閣も今はなく、門が小高い二つの丘の形で残っているだけだ。樹木が茂り、鬱蒼として緑濃く、そのため燕京八景に選ばれたが、かつての姿はなく、木々も枯れてしまっている。唯一残っているのは、乾隆帝の建てた詩碑だけだ。

清浄化城については、『日下旧聞考』に記載がない。前編にはこの名前が見うけられる。

西山八刹は阜成門外八里荘から北西に10kmほどのところにある。翠微山、平坡山、盧師山と言う名がある。
八刹についてはいろいろ言われていて、同じものがない。
現在は、翠微山ふもとで東向に建っている長安寺。長安寺の北東、山の頂にあり南向きの秘魔崖。長安寺の西北の山麓にあり塔のある霊光寺(この塔の近くには池があり池の北側に新築の受戒台がある)。霊光寺の北東にある三山庵。その隣の南向きに座している大悲寺(門がる)。真北に位置し東向に建っているのが龍泉堂(霊泉がある)。竜王堂の北の香界寺。香界寺を見下ろす宝珠洞。これがいわゆる八刹だ。
長安寺は別名善應寺。三山庵は『日下旧聞考』には記載されていない。霊光寺は翠微寺と一つになっている。塔の基礎部分にある鉄の灯篭は、今も残っている。


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訳注:

燕京八景:瀟湘八景にならって、乾隆帝が選んだ北京の景勝八選
「居庸疊翠」、「薊門煙樹」、「盧溝暁月」、「玉泉垂虹」、
「西山晴雪」「西山積雪」、「瓊島春陰」、「太液秋風」、「金台夕照」
ちなみに、金の章宗版もあり、こちらは「薊門煙樹」が「薊門飛雨」、「西山晴雪」が「西山積雪」だっただけで、ほかには変わりありません。

ちなみに瀟湘八景は現在の湖南省、瀟水と湘江の合流するあたりの一帯の名勝八箇所。”何とか八景”の元祖。

西山八刹:いわゆる八大処。


百合の花と仏手柑(ブッシュカン)、回紋(連続した模様)をモチーフにしています。百合の「百」で「百年」を、仏手柑で「長寿」を、連続した模様で永遠に続くことを表しています。「百年好和、福寿綿長」(白髪になるまで仲良く、福寿いつまでも)という意味になりますから、結婚式のお祝いに最適な、デザインですね。

仏手柑ですが、本当に仏様の手のような、そんな実がなります。季節の花 300というサイトにこの植物について、紹介されていますので、ぜひご覧ください。なんとミカン科の植物なのだそうです。



上のデザインは、サイトでご紹介するために、編集しているときに偶然出来上がったものですが、ちょうど、漆のお盆のようになったので、こんな感じの丸盆があったら、お祝いなんかに使いたいなぁとおもったので、この色で掲載することにしました。(探したらあるかもしれませんが..)
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