燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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”兔児爺”の伝説
ある年、北京では疫病が流行りました。ほとんどの家で一家全員病にかかり、治りません。
嫦娥はこの様子を見て、とても心を痛め、身近に仕える月兔を病を癒すために人々のところに遣わしました。
月兔は少女に姿を変え、家々を回り多くの人たちの病を治しました。
人々はそれぞれにお礼を贈ろうとしましたが、何も欲しがりません。そのかわり着物をかしてほしいといいました。
月兔は、ある時は油売りに、ある時は易者に、ある時は男の姿に、あるときは女の姿を換えました。
姿を換えた月兔はもっと多くの人たちの病を治すために、馬や鹿、獅子や虎にのって北京の町中を駆け回りました。
そして都の疫病がなくなると月兔は月の宮殿に帰っていきました。
それから人々はこの月兔を表す泥人形を作るようになりました。鹿に乗ったり、鳳凰に乗ったりしているもの、甲冑を身に着けているもの、いろいろな職人さんの姿をしたもの。さまざまな姿があり、とてもかわいらしいです。
毎年八月十五日には、どの家でも月兔に供え物をします。果物や豆やらで月兔が自分たちにもたらしてくれた吉祥と幸福に感謝するのです。そして親愛の情をこめて月兔を「兔の爺さん」「兔のばあさん」と呼ぶのです。
ある年、北京では疫病が流行りました。ほとんどの家で一家全員病にかかり、治りません。
嫦娥はこの様子を見て、とても心を痛め、身近に仕える月兔を病を癒すために人々のところに遣わしました。
月兔は少女に姿を変え、家々を回り多くの人たちの病を治しました。
人々はそれぞれにお礼を贈ろうとしましたが、何も欲しがりません。そのかわり着物をかしてほしいといいました。
月兔は、ある時は油売りに、ある時は易者に、ある時は男の姿に、あるときは女の姿を換えました。
姿を換えた月兔はもっと多くの人たちの病を治すために、馬や鹿、獅子や虎にのって北京の町中を駆け回りました。
そして都の疫病がなくなると月兔は月の宮殿に帰っていきました。
それから人々はこの月兔を表す泥人形を作るようになりました。鹿に乗ったり、鳳凰に乗ったりしているもの、甲冑を身に着けているもの、いろいろな職人さんの姿をしたもの。さまざまな姿があり、とてもかわいらしいです。
毎年八月十五日には、どの家でも月兔に供え物をします。果物や豆やらで月兔が自分たちにもたらしてくれた吉祥と幸福に感謝するのです。そして親愛の情をこめて月兔を「兔の爺さん」「兔のばあさん」と呼ぶのです。
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宮中の后妃のお月見の様子です。
(乾隆年間の「月曼清遊図冊」から)
(乾隆年間の「月曼清遊図冊」から)
雍正十二月行楽図軸:八月賞月
八月のお月見を描いています。
建物を囲む池に月が映っているのが素敵です。
菊の花も彩りを添えています。
「男は月を拝まず 女は竈を祭らず」というように、女性の姿が多く、
とっても華やかな絵になっています。
詳しい絵は、故宮博物院のサイトでどうぞ
故宮博物院 『雍正十二月行楽図軸』
http://www.dpm.org.cn/shtml/117/@/5897.html
八月のお月見を描いています。
建物を囲む池に月が映っているのが素敵です。
菊の花も彩りを添えています。
「男は月を拝まず 女は竈を祭らず」というように、女性の姿が多く、
とっても華やかな絵になっています。
詳しい絵は、故宮博物院のサイトでどうぞ
故宮博物院 『雍正十二月行楽図軸』
http://www.dpm.org.cn/shtml/117/@/5897.html
文人の描いた旧都・北京 老舎
私は落ち着いていることが好きなので、旅行は苦手だ。そのため自然と訪れた場所や見たことのあるものなどは少なくなってくる。兔児爺という玩具についてもいくつも見たことがあるわけではない。
いくらか知っているのは北方のいくつかの街、北平、天津、済南、青島だ。これら四つの有名な街では、秋になると、街頭には兔児爺が並べられる。これは山東の人たちが兔の王と呼んでいる泥人形だ。兔児爺または兔の王は泥で作られている。兔頭人身で、背後に紙で作った旗を挿しているものや、頭上を紙でできた傘で覆っているものもある。種類が多く、精巧にできているものは北平のもので、山東のものは型が少なく、技術も粗雑だ。
泥人形は元々種類が多いのだけれど、丈夫ではないのであまり細かく作られてはいない。子供に買い与えるものであるから、ちょっとぶつけると粉々になるものに誰だって多くのお金を出して買いやしない。兔児爺は泥人形の一種ではあるけれど、売られているのは八月の節句前の半月の間ぐらいで、月餅と同様にその時々の季節のものなので、少し精巧に作られている。そのため子供たちは兔児爺を気軽に卓上に置き、普通のおもちゃにしている泥人形のように気軽に扱うのではなく、ぶつけて壊さないように気を付けて扱う。このように兔児爺は特別な地位を与えられて、一年に一度きれいに街頭に登場するのだ。
中秋がまた来る。北平などの兔児爺はどんな様子だろうか?
兔児爺は、中秋のお月見のときに飾る泥人形。
兔の将軍といった感じです。
どんなものかは「泥人形:兔児爺」をご覧ください。
ちなみに今年(2013年)の中秋節(八月十五日)は9月19日です
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老舎 (1899-1966): 北京生まれで、八旗の「正紅旗」出身。
代表作:『駱駝祥子』『四世同堂』『正紅旗下』『龍鬚溝』『茶館』
兔児爺
私は落ち着いていることが好きなので、旅行は苦手だ。そのため自然と訪れた場所や見たことのあるものなどは少なくなってくる。兔児爺という玩具についてもいくつも見たことがあるわけではない。
いくらか知っているのは北方のいくつかの街、北平、天津、済南、青島だ。これら四つの有名な街では、秋になると、街頭には兔児爺が並べられる。これは山東の人たちが兔の王と呼んでいる泥人形だ。兔児爺または兔の王は泥で作られている。兔頭人身で、背後に紙で作った旗を挿しているものや、頭上を紙でできた傘で覆っているものもある。種類が多く、精巧にできているものは北平のもので、山東のものは型が少なく、技術も粗雑だ。
泥人形は元々種類が多いのだけれど、丈夫ではないのであまり細かく作られてはいない。子供に買い与えるものであるから、ちょっとぶつけると粉々になるものに誰だって多くのお金を出して買いやしない。兔児爺は泥人形の一種ではあるけれど、売られているのは八月の節句前の半月の間ぐらいで、月餅と同様にその時々の季節のものなので、少し精巧に作られている。そのため子供たちは兔児爺を気軽に卓上に置き、普通のおもちゃにしている泥人形のように気軽に扱うのではなく、ぶつけて壊さないように気を付けて扱う。このように兔児爺は特別な地位を与えられて、一年に一度きれいに街頭に登場するのだ。
中秋がまた来る。北平などの兔児爺はどんな様子だろうか?
…以下省略
画像は、昔の兔児爺売り
--------------------------------------------------------------------------------画像は、昔の兔児爺売り
兔児爺は、中秋のお月見のときに飾る泥人形。
兔の将軍といった感じです。
どんなものかは「泥人形:兔児爺」をご覧ください。
ちなみに今年(2013年)の中秋節(八月十五日)は9月19日です
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老舎 (1899-1966): 北京生まれで、八旗の「正紅旗」出身。
代表作:『駱駝祥子』『四世同堂』『正紅旗下』『龍鬚溝』『茶館』
テキストは:
「北京乎」
三聯書店
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