燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「西頂(シーディン)」(燕京歳時記)
「西頂」(燕京歳時記)
西頂の娘娘廟(にゃんにゃんびょう)は、万寿寺から西へ4、5kmほど行ったところにある。毎年四月一日から半月の縁日があり、万寿寺と同様ににぎわう。
山門には厳つい表情の生きているかのような四天王像が祭られている。
台座の下の邪鬼像はこれまた恐ろしい表情で、子供を連れた人たちは子供の目を覆い通りすぎている。
廟内には72の祠があるが、そこに祭られている神々はすべて絵で、像ではない。
毎年の縁日には大臣が派遣され、焼香をするが、これはヤーシー山の娘娘廟とここの娘娘廟だけのことである。
『日下舊聞考』によれば、
「西頂」(燕京歳時記)
西頂の娘娘廟(にゃんにゃんびょう)は、万寿寺から西へ4、5kmほど行ったところにある。毎年四月一日から半月の縁日があり、万寿寺と同様ににぎわう。
山門には厳つい表情の生きているかのような四天王像が祭られている。
台座の下の邪鬼像はこれまた恐ろしい表情で、子供を連れた人たちは子供の目を覆い通りすぎている。
廟内には72の祠があるが、そこに祭られている神々はすべて絵で、像ではない。
毎年の縁日には大臣が派遣され、焼香をするが、これはヤーシー山の娘娘廟とここの娘娘廟だけのことである。
『日下舊聞考』によれば、
西頂の碧霞元君(へきかげんくん)廟(娘娘廟のこと)は都の西、藍靛廠(らんてんしょう)(明の藍を作る工場の跡地)の前にあり、明の万暦(1573-1620)年間に建てられた。清の康煕五十一年(1786)修復され、広仁宮と名前が変わった。とある。
「万寿寺(ばんじゅじ)」(燕京歳時記)
万寿寺は、西直門の外、3kmほどのところにあり、山門は長河(チャンフー)に面している。皇太后の長寿を祝うために建てられた寺院だ。
毎年四月一日から半月間の縁日があり、多くの参拝客が訪れ、華やかな装いの人々が参道を埋め尽くす。
柳や麦をそよがせて吹く風に心清められ、「天朗らかにして気清く、恵風和暢す」という感じがする。
まさに、西郊外の名勝である。
『日下舊聞考』によれば、
万寿寺は、西直門の外、3kmほどのところにあり、山門は長河(チャンフー)に面している。皇太后の長寿を祝うために建てられた寺院だ。
毎年四月一日から半月間の縁日があり、多くの参拝客が訪れ、華やかな装いの人々が参道を埋め尽くす。
柳や麦をそよがせて吹く風に心清められ、「天朗らかにして気清く、恵風和暢す」という感じがする。
まさに、西郊外の名勝である。
『日下舊聞考』によれば、
万寿寺は広源閘(こうげんこう)の西にある。明の万暦五年(1577)年に建立され、清の乾隆十六年(1751)と二十六年(1761)に2度にわたる修復が行われた。とある。
山門をくぐると、鐘楼と鼓楼、天王殿があり、その奥に万寿閣がある。そのさらに奥には禅堂があり築山がある。築山の上には大士殿、そして下には地蔵洞がある。そして山の後ろには無量寿仏殿、三聖殿があり、またその後ろに楼閣があるが、間には松やヒノキの数百年を越した古木が生い茂っていた。これらの古木は光緒元年(1875)の火災で焼失してしまった。一番奥に菜園があるが、ここには水車が二つある。光緒二十年に行宮を修築した際に、寺の一角として囲われた場所だ。
昨日、現在日本で使っている暦と、旧暦(農暦)のうるう年の違いについて書きましたが、
今日は大の月と小の月についてです。
今の暦では、
1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月が31日で大の月、
2月、4月、6月、9月、11月(西向く侍... 二四六九、十一)が小の月 ですね。
でも旧暦は、旧暦では大の月は30日、小の月は29日ですが、何月が大の月か小の月かは決まっていません。
というのは、旧暦が太陰暦、月を基準とした暦だからです。
そしてその暦の大きな一つの決まりが「新月の日が一日になる」というというものです。
なので、次の月の一日が決まってはじめてその月が大の月か小の月かが決まるのです。
そのため面白いことが起きます。
大晦日といったら私たちは単純に十二月三十日と考えてしまいがちですが、
旧暦の場合、十二月三十日だったり十二月二十九日だったりするのです。
興味のある方はぜひ、旧暦の書いてあるカレンダーをご参照ください。
ちなみに今年は十二月二十九日が大晦日で、三十日は存在しません。
今日は大の月と小の月についてです。
今の暦では、
1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月が31日で大の月、
2月、4月、6月、9月、11月(西向く侍... 二四六九、十一)が小の月 ですね。
でも旧暦は、旧暦では大の月は30日、小の月は29日ですが、何月が大の月か小の月かは決まっていません。
というのは、旧暦が太陰暦、月を基準とした暦だからです。
そしてその暦の大きな一つの決まりが「新月の日が一日になる」というというものです。
なので、次の月の一日が決まってはじめてその月が大の月か小の月かが決まるのです。
そのため面白いことが起きます。
大晦日といったら私たちは単純に十二月三十日と考えてしまいがちですが、
旧暦の場合、十二月三十日だったり十二月二十九日だったりするのです。
興味のある方はぜひ、旧暦の書いてあるカレンダーをご参照ください。
ちなみに今年は十二月二十九日が大晦日で、三十日は存在しません。
旧暦の閏年について
うるう年は、太陽暦のように一日増えるのではなく、1ヶ月増えます。
そのため旧暦で閏年にあたる年は、ある月が、二度出現します。
その月は閏月で、「閏何月」という言い方をします。
閏年は、3年に一度、5年に二度、17年に七度の割合で出現します。
ちなみに今年(2012年)西暦でも閏年ですが、
農暦(旧暦)でも閏年で、今年は四月が二度あります。
こちらをご参照ください。
2012年壬辰[閏]年陰陽対照表(2012年1月23日~2013年2月9日)
もうすぐ旧暦も四月ということで、気がついたのでご参考までに...
うるう年は、太陽暦のように一日増えるのではなく、1ヶ月増えます。
そのため旧暦で閏年にあたる年は、ある月が、二度出現します。
その月は閏月で、「閏何月」という言い方をします。
閏年は、3年に一度、5年に二度、17年に七度の割合で出現します。
ちなみに今年(2012年)西暦でも閏年ですが、
農暦(旧暦)でも閏年で、今年は四月が二度あります。
こちらをご参照ください。
2012年壬辰[閏]年陰陽対照表(2012年1月23日~2013年2月9日)
もうすぐ旧暦も四月ということで、気がついたのでご参考までに...