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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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 昔、汝南に桓景という人がおりました。年老いた両親、妻、そして多くの子供達に囲まれ、幾ばくかの田畑しかないものの、真面目に働き、貧しいながらも幸せに暮らしていました。ところが、不幸は突然やってきました。汝河あたりで疫病がはやり、多くの人が病に倒れ、多くの人達が命を落としました。遺体は野ざらしのまま、埋葬する人もありませんでした。そんなある年桓景の両親もこのはやり病でなくなりました。
 桓景は幼いころ、年寄り達から聞いた話を思い出しました。汝河のあたりには一人の厄病神が住んでいて、行ったり来たりしている。そしてその病魔が行ったり来たりした場所で疫病が流行るのだと。病が治ったあと桓景は仙術を学び、病魔を退治する決心をしました。東南山に有名な費長房という大仙人がいると聞き、訪ねる準備を整え、出発しました。

 山は幾重にも連なり、仙人がどこに住んでいるのか見当もつきません。桓景は、疲れをものともせず、山を越え、谷を越え、仙人を探し回りました。ある日、桓景は雪のように白い鳩が目の前にいるのに気がつきました。その鳩は桓景に向かって、首を振っていました。桓景はなにか自分に言いたいことでもあるのだろうと考えました。すると鳩は飛び立ち、しばらく飛ぶと桓景に首を振って見せます。桓景が近づくとまた飛び立ちます。桓景は鳩について歩いていきました。いくつかの山を越えると松の古木が生い茂りる仙境に至りました。鳩が飛びまわっているところにふるい廟がありました。「費長房仙居」という額が門にはかけられていました。桓景は硬く閉ざされたままの門の前にひざまずきました。そしてそのままの姿で二日二晩を過ごしました。三日目に突然門が開き、白髭の老人が出てきて言いました。「おまえが大衆を救おうと言う気持ちはよくわかった、中に入りなさい」桓景はこの老人が費長房であることに気がつき、何度も頭を下げるとこの仙人について中に入っていきました。

 費長房は桓景に一振の青龍剣を与え、朝早くから夜遅くまで修行をさせました。ある日、桓景が修行をしておりますとがやってきて「今年の九月九日、汝河に病魔がまた現れる。おまえは故郷に戻り民を救いなさい。おまえに茱萸の葉と菊花酒を与える。民を高い所に避難させ何を逃れるように」といいました。そして柏の古木を指差すとそこに鶴が飛んできて、桓景の前に舞い降りました。桓景は鶴にまたがり、故郷の汝南を目指しました。

 桓景は家に戻ると、皆を集め、仙人の話をしました。そして九月九日、近所の山に登り、難を避けるために茱萸の葉を皆の体につけさせ、菊花酒を一口ずつ飲ませました。そして自分は青龍剣を身につけ家に戻り一人、病魔がやってくるのを待ちました。

 突然、汝河から不気味な風が巻き起こり、唸り声と共に病魔が村に上がってきました。しかし村には人っ子一人いませんでした。ふとみると村人達は山の上に集まっています。ふもとまでたどり着いたものの、酒と茱萸の香りに鼻や胸がやられ山に登ることが出来ません。病魔は村に戻ると、一人の男が家の中で座しているのを見つけました。飛びかかろうとする病魔を桓景は青龍剣で迎え撃ちます。なかなか勝負がつかず、病魔が逃げようとした所、桓景が剣を投げ、剣が病魔の腹に突き刺さり、倒れふしました。

 これ以後、汝河料岸の民は二度と病魔に犯されることがなくなりました。人々は桓景をたたえ、九月九日には高いところにのぼるのが習慣として伝わったのでした。

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九月九日の重陽の節句には、菊花酒を飲む習慣があります。

もっとも簡単な、菊花酒の造り方を紹介します。


材料:
白菊花(漢方薬などに用いる菊) 50g
 この菊は、カモミールのような感じです。
度数の低いお酒 500ml
 この酒は、もともと菊花種はお米と菊の花で作ったらしいので、
 日本酒でOKだと思います。

摘んだ菊は洗って乾かし、さらしの袋に入れてお酒に浸します。
2~3日でしたら出来上がり。

ほかにいろいろな薬草などを入れる作り方もありますが、
純粋な一番簡単な、菊花酒の造り方です。

興味のある方は、重陽のお節句のちょっと前にご準備くださいませ。
一場秋雨一場寒、十場秋雨要穿棉。


意味:一雨ごとに寒くなり、十回秋雨が降れば綿入れを着るほどに寒くなる。

秋の雨……寂しいぐらいに寒くなりますよね。
-もう一つの嫦娥のお話

 昔、昔、そのまた昔、天地創造のころ、空には10の太陽ありました。しかしこの10の太陽のうち実は9つがニセモノで、ただ一つが本物の太陽だったのです。弓と名手として名高かった后 羿が贋の太陽を射落とす役目をおおせつかりました。そして宝の弓と神の矢をで一気に九つの太陽を射落と、その功績で河川の神様「河伯」の美しい娘、嫦娥と結婚をしました。

 永遠の命を持たない「生き物」である后羿は、不老長寿を望むようになりました。西王母はこの願いを聞き入れ、不老長寿の薬をあたえ、断食をしたあとその薬を飲むように后 羿にいいました。そして后羿は誰にも知られないように家の梁に薬を隠し、穏便に事を運んでおりました。

 しかし后羿はその不老長寿の薬についてを妻の嫦娥に話しました。嫦娥は不老長寿となった夫に一人取り残されることを恐れ、夫の隙を狙って薬を飲んでしまったのです。

 薬を飲むと、彼女の体は軽くなり、空に浮かびました。そして后羿が気がついたときには、嫦娥は后羿の弓を持っても届かない遠いところ、月に向かって飛んでいるところだったのです。月についた嫦娥は不老不死となったものの、孤独にすごしているということです。

-中秋節の由来-

 昔、昔、そのまた昔、10の太陽が一度に空に現れたことがありました。大地は荒れ果て、海は干上がり、人々は暮らしを立てることすらできなくなりました。このころ后羿(こうげい)という勇敢な若者がいました。その力は万斤の宝の弓を引くことができ、どのように恐ろしい獣でも射ることができたといいます。彼は人々の苦しむ様子を見て宝の弓と神の矢を持って一気に九つの太陽を射落としました。最後の太陽は許しを乞い、后 羿が怒りを静め弓を納めて、太陽に人々のために決まった時間に昇り、沈んでいくことを約束させました。

 后羿の名前は天下にとどろき、人々は彼を敬いました。その後彼は嫦娥(じょうが)という娘を嫁に取りました。嫦娥はとても美しく、そして穏やかで、聡明な女性でした。二人の仲はむつまじく、幸せに暮らしていました。とくに嫦娥は心やさしく、常々夫の狩ってきた獲物をみなに分け与えており、人望も厚いものがありました。そしてみなは、后羿はよい嫁をもらったとうわさしておりました。

 ある日、狩の途中で后羿は一人の年老いた道士に出会いました。老道士は后 羿の人となりに感服し、一包みの不老長寿の薬を与えたのでした。この薬を飲めば不老長寿を得ることができ、天に上り仙人になることができるのです。しかし后 羿は妻や自分の周りの人々とはなれて一人天に赴こうとは思いませんでした。家に帰ると不老長寿の薬を嫦娥に渡し、つづらの中にしまわせたのでした。

 このころ、后羿のもとには、彼の威名をしたって多くの人たちが集まっていました。その仲に蓬蒙(ほうもう)という悪賢いものがおりました。蓬蒙は不老長寿の薬を奪い、自分で飲んで仙人になろうと考えたのです。

 その歳の8月15日 后羿は弟子たちを連れて狩に出かけていました。夕暮れ前に蓬蒙はひそかに戻り、嫦娥の部屋に忍び込み不老長寿の薬を渡すよう嫦娥に迫ったのです。嫦娥はやむにやまれず薬を全部飲んでしいました。すると彼女の体は突然軽くなり、窓を抜け出し、一直線に空高く舞い上がったのです。しかし彼女の夫を思う気持ちは強く、地上から一番近い月に彼女は降り立ちました。

 后羿が家に戻ったとき、すでに妻・嫦娥の姿は見えませんでした。侍女の話でようやく后羿は事の次第を知ったのでした。急いで外に出て月を見てみると、、月はいつもよりも丸く、いつもよりも輝いて見えました。それは愛する妻が自分を見守ってくれているようでもありました。彼は覚悟を決めて月を追いかけました。しかしどうしても月にたどり着くことはできません。后羿は妻を思うと心張り裂けんばかりでした。彼は庭に嫦娥の好きだった果物などをおき、彼女を祭りました。近くの人たちもそれにならい、果物をのせたテーブルを供え心やさしい嫦娥をしのんだのでした。

 次の年の8月15日夜。この日も月は特別に丸く、明るく輝いていました。そして后羿はこの日も果物をたくさん置いたテーブルを月明かりの元に供えて妻を思ったのです。それが毎年続き、世間にも伝わり、8月15日が中秋であったことから中秋節としてお祭りするようになったということです。

 月の月宮に入った嫦娥ですが、彼女は日々夫を思い、故郷を思いどのようなご馳走も美しい舞も彼女の心を和ませることはできなかったといいます。毎年8月15日、嫦娥は宮城の門の外に出て、はるか地上の故郷を眺めるのでした。この彼女の美しいその顔が、月を、さらにさらに輝かせ、さらに丸く見せるのだということです。

「民間節日故事」より


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嫦娥のお話には、西王母から不老長寿の薬を盗んだというお話もありますが、今回は特にこちらのお話をご紹介しました。

ある伝説では、唐の玄宗皇帝は道士に導かれ月の宮を訪れたということです。そのときの仙女の舞が後に残る玄宗作曲の「霓裳羽衣曲(げいしょうういのきょく)」だといいます。とすれば玄宗も嫦娥に会ったのでしょうね。

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