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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「無風三尺土、有雨一街泥」...
風がなければ3尺もの土ぼこりが舞い上がり、雨が降れば街中泥だらけ



この写真を見てもらえたら「無風三尺土」の雰囲気がわかってもらえるでしょうか。
この状態で雨が降ったら「有雨一街泥」状態になります。

同様のことばに
「刮風是香炉、下雨是墨盒子」
風が吹けば香炉(のように土ぼこりが舞い上がり)、雨が降れば墨汁入れのよう
というのがあります。

昔の北京の道路状態を表した言葉ですが、
春は今でも「無風三尺土」の状態になりますね...

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”兔児爺”の伝説

ある年、北京では疫病が流行りました。ほとんどの家で一家全員病にかかり、治りません。

嫦娥はこの様子を見て、とても心を痛め、身近に仕える月兔を病を癒すために人々のところに遣わしました。

月兔は少女に姿を変え、家々を回り多くの人たちの病を治しました。

人々はそれぞれにお礼を贈ろうとしましたが、何も欲しがりません。そのかわり着物をかしてほしいといいました。

月兔は、ある時は油売りに、ある時は易者に、ある時は男の姿に、あるときは女の姿を換えました。
姿を換えた月兔はもっと多くの人たちの病を治すために、馬や鹿、獅子や虎にのって北京の町中を駆け回りました。

そして都の疫病がなくなると月兔は月の宮殿に帰っていきました。

それから人々はこの月兔を表す泥人形を作るようになりました。鹿に乗ったり、鳳凰に乗ったりしているもの、甲冑を身に着けているもの、いろいろな職人さんの姿をしたもの。さまざまな姿があり、とてもかわいらしいです。

毎年八月十五日には、どの家でも月兔に供え物をします。果物や豆やらで月兔が自分たちにもたらしてくれた吉祥と幸福に感謝するのです。そして親愛の情をこめて月兔を「兔の爺さん」「兔のばあさん」と呼ぶのです。
駱駝といえばシルクロードを思い浮かべる方が多いと思いますが、実は北京と駱駝も深い関係があるのです。そんなことを御紹介しましょう。
駱駝は「砂漠の舟」とも言われ長年の間砂漠地帯の輸送の手段となっていました。そして北京一帯においても駱駝は主要な輸送手段であったのです。

時代は金の時代にさかのぼります。金の時代の末期、北京の西・「門頭溝」あたりで産出される石炭の輸送に使われるようになったのが始まりです。中国において、重いものの輸送は駱駝と言うのが常識だったようで、石炭を運ぶ役目も駱駝が担うことになったようです。その後、材木などを運ぶようにもなりますが、駱駝を養っている人はその後も門頭溝に集中していました。(それ以外に北京の南、大灰廠のあたり)。

それ以降、元・明・清の時代と、北京近郊では駱駝が主なる輸送手段だったようです。近年流行の「老照片(旧い写真)」でも駱駝の隊伍や駱駝の隊伍が休息をとっている姿を見る事が出来ます。



その駱駝も、万能ではなかったようで、一年の中で夏のみは、駱駝が病気をしやすく、輸送には使われなかったといいます。

民国初期になると駱駝の隊伍が交通を阻害し始め、警察庁は「(駱駝)3頭を一隊伍とする。それらが連なる事を禁止する」と規定します。そして、鉄道が敷かれ、石炭輸送の手段が貨物列車に取って代わられるようになり、駱駝の姿が次第に北京城内から姿を消す事になります。

それでも40年代までは城内で駱駝を見かけることがあったといいますが、現在では動物園、そして万里の長城の記念撮影場所でしかその姿を見る事が出来なくなりました。

こんな詩が残っています。

腫背馬行鈴声長  或十或五聯作行  背上梱載高于墻

駝能辧風色  駝能識泉脈  不用駝智駝力

城中千煙復萬煙  仗你西山運煤石 ……

らくだの鈴の音が響く 十、五と続いている 背に乗せた荷物は城壁よりも高い
駱駝は空気で 水のありかを知ると言う それは知恵でも力でもない
煙る街中 西山の石炭を運ぶのはおまえがたよりだ

西王母(セイオウボ)と長寿の桃


 孫悟空のお話にも出てくる西王母、私の文章の中にも時々出てきますが、簡単に彼女をご紹介いたしましょう。
 昔、仙境といわれていた場所は二つありました。東の蓬莱山、そして西の崑崙山(こんろんさん)です。そしてこの二つの山には不老不死の薬があると古くから言い伝えられていました。そしてその崑崙山の主人が王母娘娘(ワンムーニャンニャン)なのです。西の王母だから西王母というわけです。

 彼女は玉皇大帝(ぎょっこうたいてい)という道教の最高位の神様の奥さんでもあり、女神の中では最高位の神様で、長寿の神様です。道教の世界では「九霊太妙亀山金母(きゅうれいたいみょうきさんきんぼ?)」「太虚九光亀台金母元君(たいこきゅうこうきだいきんぼげんくん?)」と呼ばれています。
 かつては疫病や刑罰をつかさどる神様だったようですが、周から漢の時代にかけて不老不死の薬(霊丹妙薬(れいたんみょうやく))や桃(蟠桃(はんとう))を有する、長寿の神様と変化しました。

 また、彼女は多くの伝説に名前を残していています。漢の武帝が天界で桃を賜った話、嫦娥が盗んだのは西王母の不老不死の薬でした。また西遊記のなかで孫悟空は西王母の桃を盗みます。……などなど数えれば切りがありません。それだけ人気のある神様だというわけです。

 西王母を描いた絵にはたいてい桃が描かれています。侍女が桃をささげ持っている図も多く見られますが、西王母の桃とはどんなものなのでしょうか。

 古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたり、お札に使われたりしてきましたが、崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるといわれています。この桃が不老長寿の桃なのです。この桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないといいます。そして3000年に一度しか実がならないのだそうです。西王母がこの桃が実ったのをお祝いして「蟠桃宴」を開きます。この宴に呼ばれるのは超一流の神様仏様たちだといいます。ちなみに、孫悟空はその宴に乱入に大暴れをしました。

 このように西王母は長寿の神様としてとても親しまれている神様です。そうそう、西王母のお誕生日は、三月三日だということです。

連中三元

中国の科挙という、官吏登用試験なるものは、かなり過酷な試験でした。試験も、三日二晩晩缶詰状態で受けます。詳しいことは別の機会に...ということにしましょう。
さて、その科挙の試験ですが、簡単に言うと、郷試、会試、殿試に分かれています。郷試:地方試験 会試:全国試験 殿試:皇帝による最終試験  といったところでしょうか。この試験のそれぞれの首席合格者を解元、会元、状元、あわせて三元といいます。そして三元をとることを「連中三元」「三元及第」とい います。なんといっても、男の子が生まれたら、将来は「連中三元」とはいかずとも、なんとか科挙には合格して欲しいもの...

それはさておき、長い歴史の中には、 連中三元を果たした人が、なんと13人もいたそうです。唐代から清代まで、計596人の状元がいるそうですが、その中の13人だけが連中三元だとのこと。(12人、14人の説あり)
それで調べてみると、時代別に... 唐代:4人、宋代:7人、遼代:1人、金代:1人、元代:1人、明代:2人 清代:2人という数字が紹介されていました。この資料では18人... 
ちなみに清の時代は試験が112回行われ、状元114人(ダブル合格があったのか?)だそうですが、連中三元はたった二人。
乾隆四十六年辛丑科(1781)の江蘇省蘇州府長洲県の銭棨、
嘉慶二十五年庚辰科(1820)広西省桂林府臨桂県の陳継昌
がそうですが、陳継昌は最後の連中三元となりました。




おまけ 歴代の連中三元 (いろいろありますが、手元の資料による)

唐代:崔元翰、武翊黃、張又新、白敏中
宋代:陳堯叟、孫何、王曽、王岩叟、楊窒、馮京、彭汝礪
遼代:王棠
金代:孟宗獻
元代:王宗哲
明代:許観、商駱
清代:銭棨、陳継昌

ちなみに清に戴衢亨という名前もあったのですが、戴衢亨は最年少状元ということですが、連中三元ではないようです。

資料によっては、唐代が二人になっていたり、遼代が加わっていなかったり... どの資料がなんなのか、よくわかりませんでした... (ーー;)
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