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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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北京の城門の役割

北京は、かつて城壁に囲まれた町でした。そして人々や物資の行き来はは城門をくぐって行われていました。
今回は、その城門にはそれぞれの役割がありました。
それはどのような役割だったのでしょうか...



・西直門 水を運び込む門
北京の西の玉泉山より、皇帝の水を毎日運び込んだ。

・阜成門 石炭を運び込む門
石炭の産地が北京の西に位置する「門頭溝」だったので、石炭はこの城門から搬入された。

・宣武門 死刑囚が刑場に向かう門
宣武門外の菜市口に刑場があったため。

・正陽門 正門
皇帝が使う。また地方官僚たちが謁見のために北京を訪れたときにとおる門。

・崇文門 税関
税関があった場所。

ありし日の崇文門

・朝陽門 穀物を運び込む門
大運河最寄のもんだったので、運河を通じて運ばれた南方からの穀物などが運び込まれた。

・東直門 木材を運び込む門
東北から運び込まれる木材を運び込んだ

・安定門 し尿を運び出す門
城内住民のし尿を運び出していた

・徳勝門 凱旋門
戦に勝った軍隊が凱旋したときに使われた

これらが特に特徴的なものです。
他にも何かあったようななかったような。。。
また気がついたら、書き足していきます。




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なぜ耶律楚材の墓は頤和園にあるのか

 頤和園内に耶律楚材の墓があることを不思議に思う人は少ないかもしれません。頤和園内にあることからなんとなく勘違いをして、耶律楚材が満州族だと思い込んでしまう人もいるとおもいます。耶律楚材とは、そしてなぜ彼の墓が頤和園にあるのかを探ってみましょう。

 「先有潭拓寺、后有北京城」という有名な言葉がありますが、「先有楚材祠、后有清漪園」頤和園より先に耶律楚材の墓があったということば残っています。

 はてさて、乾隆帝がこの地に頤和園の元となる清漪園(せいいえん)を造らせているときにその土地に墳墓が見つかったといいます。その墓に葬られた人とは。

 耶律楚材は元の有名な宰相でした。彼は契丹人で遼王族の血を引いていて金の官僚の家に生まれました。そういうバックグラウンドもあって耶律楚材は金に出仕しましたが、その後チンギス=ハンに降って政治顧問となり、オゴタイ=ハンにも仕え、元の基礎を築き上げました。元では税制を整え帝国の経済的基礎を確立させたり、中国の土地の草地化をやめさせたりなど元にかなり貢献しましたが、オゴタイの死、権力を握った皇后の寵臣をいさめたことから左遷され、その後亡くまりました。

 彼の政治姿勢は朝廷内外の評判が高く、彼が亡くなったときには士大夫から庶民まで多くの人が嘆き悲しみ、市も立たず、一切の娯楽が数日間行われなかったといいます。これを見た元の王朝は彼を丁重に葬ることにしました。そして北京の西に祠を建て彼を祭りました。しかし明の時代になるとモンゴル人に対する不満が一挙に噴出、耶律楚材の墓までもがその対象になりました。祠は取り壊され、彼を守る石像は目から光を放つなどと人々から恐れられ水の中に沈められたといいます。

 時は流れ、乾隆帝の時代になってこの地に庭園が造られることになりました。造成中に墓地が発見され、歴史的な資料からここが耶律楚材の墓であることがわかり、乾隆帝は丁重に祭ることにしたといいます。皇室の庭園に祠があることは忌み嫌われるのですが、この祠の西に塀を作り、清漪園と隔てさせたといいます。のちに、頤和園の一角として開放され現在に至っています。

 ちなみに清の時代には発見されなかった目から光を放ったといわれる石像は1979年に発見されたそうです。



東北旺と西北旺の名前の由来

留学したばかりのころ、中国人になりすまし東北旺の「中日友好人民公社」によく出かけました。あの時代、あのあたりは外国人に開放されていない場所でした。
あのころから東北旺の「旺」という字が実は気になっていたのですが、それはただ、日本人に珍しい字だったからだけかもしれません。
そしてその後、東北旺とそしてちょっと奥に、「西北旺」があることに気がついて「旺」が何かを指しているのではとずっと気にかかっていました。

地名の由来についてかいてある本を手に入れ、調べてみると、こんなことがわかりました。

このあたりに「百望山」という山があったそうです。万寿山、金山口。それに連なる山が「百望山」。北京を望めることからその名前がついたのでしょうか。その山は後に「安河山」と名前が変わりますが東児望、西児望という地名だけは残りました。「百望山」の東、そして西という意味です。

中華民国の時代になり、それらの地名は盛んであるという意味の「旺」を使った、「東北旺」と「西北旺」と変わりました。

このあたりはかつて「秧歌」で有名で「天下第一会」と呼ばれていました。それが最近老人たちの手によって、復活されようとしています。かつて山には廟があったりもしたそうですが、何も残っていないそうです。

90年代、「百望山」という名がよみがえりました。「百望山防火瞭望塔」が建てられたということです。


注)東北旺は北京市の頤和園、円明園の北にある地名です。
かつては農地が広がっていた地域でした。


参考文献「北京地名典」 中国文聯出版社




漬物屋さんの老舗「六必居」の名前の由来


 前門大街という北京の繁華街に「六必居」というお漬物やさんがあります。看板からもわかるように老舗です。

 言い伝えによれば、明の嘉靖九年(1530年)趙という兄弟が開いた酒店がその始まりだといいます。

 酒造りには六つの「必」からなる決まりがあって、そこから「六必居」という名前がつけられたと、長年言われてきました。しかし、研究が進むにつれて、酒造りとは関係がなのでは……といわれるようになりました。

 この店が開かれたのは清の康煕年間であることがであるらしいことが判明します。そして雍正六年(1728年)の帳簿から「源昇号」というのが最初の店の名前だったことがわかりました。「六必居」という名前が帳簿で初めて出てくるのは、乾隆六年(1741年)だということです。

 また、六必居の名前の由来についてですが、六必居は酒を造ってはいなかったというのです。酒を造っていなければ、上にあげた「六必」が店の心得でなくてもよいわけです。趙兄弟も、兄弟の出身地も酒造りとは関係がない。それでは、その「六必」とは何なのか……

 「開門七件事」という言葉があります。これは「暮らしをたてていくのに必要な七つのもの」ということです。中国では「柴、米、油、塩、味噌、酢、茶」を「開門七件事」といいます。

 六必居ではお茶以外の生活必需品を扱っていたということです。そこから「六つの生活必需品を売る店」……「六必居」と言う名前がつけられたのではないでしょうか。

 「六必」は酒造りの秘訣の「六必」ではなく、「柴、米、油、塩、味噌、酢」という生活の「六必」需品から来た名前だと言うことがわかりました。そんなお店が、お漬物やさんになった経過については、別途調べる必要があります。

 「甜醤八宝菜」、「甜醤蘿蔔」が私のお気に入りのお漬物。前門のほうに遊びに出かけたときには必ず立ち寄って量り売りで買ってきます。北京にはもう一件老舗のお漬物屋さん「天源醤園」がありますが、ここで紹介していることでおわかりいただけると思いますが、私は「六必居」がお気に入りです。同じお漬物でも、ちょっと味が違うと思うのは気のせいでしょうか……。 

 蛇足になりますが、この店の歴史には、名前以外にも数々のなぞがあります。上にあげた店の名前の額ですが、この文字を誰が書いたのか……それもわかっていません。一説によると明の大臣・厳崇だとも言われています。しかし、「六必居」というなが清の乾隆年間になってついた名前だとすれば……なぞは深まるばかりです。 





地名に残る八王墳(第八王子のお墓)の第八王子って誰のこと?

北京に留学した当初から気になっていたことの一つ。
北京のメインストリートを走るバスのルート「八王墳-公主墳」がありました。
訳すと「第八皇子のお墓-皇女のお墓」となります。
(ちなみに、ではその路線名は残っていません)
今回は「第八皇子のお墓」の由来です。

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 八王は、清朝の始祖・ヌルハチの第十二皇子・アジゲのことです。アジゲは明を責め、北京の近くを平定、「英親王」となり「八王」(八番目の王子)と称されました。そしてその後「平西大将軍」になります。しかし野望は大きく、弟ドルゴンが摂政を務めているとき、自分がその地位にとって変わることを夢見、ドルゴン亡き後、その地位につくべく画策をしますが、それが暴かれ、幽閉の身となり、40歳で死を賜ります。
 そのアジゲのお墓がこの「八王墳」なのです。1900年代初頭まで建物は残っていたそうですが、そのご建物は取り壊され、また周囲の樹木も木材として売り払われ、形をなくしてしまいました。

 現在その跡地は「北京醸酒工場」になっています。一時地名もほかのものに変わりましたが、1977年「八王墳」というもとの地名が復活しいまにいたっています。



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参考図書:
「北京地名典」 中国文聯出版社






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