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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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中国では年に三度、お墓参りの行事があります。

清明:太陽暦の4月5日ごろ(二十四節季の春分の次)。
中元:農暦(旧暦)の七月十五日。
そして、農暦(旧暦)の十月一日。



あの世に、冬の衣類を送って、ご先祖様に寒さをしのいでもらおうというわけです。
ちなみに、中国では、あの世にいろいろ送るときに紙製のものを燃やしますから、
このときは、紙製の衣類を焼きます。

寒くなってくると、なかなかお墓参りもできませんから
これが今年最後のお墓参りとなります。
次は、暖かくなってから、清明の日になります。

こちらをご参照
・燕京歳時記 十月 「十月一日」
・北京民間生活彩図 >>041:焼包袱図(包みを焼く図)

それからこんな思い出話...
子供が小学生だったころ、学校から帰ってきた娘が
「今日は、「song-han-yiの日だよ!」と突然いいました。
頭の中で、「ソン・ハン・イー」と「送寒衣」がつながらず、「???」の私。
日本語で話していたにもかかわらず、阿姨(お手伝いさん)が一言、
「あ~~ 今日は、十月初一日だったわ!」。
中国語の授業で、やったとか...。
(ちなみに、当時は北京在住でした)


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気がつかずに、過ぎてしまうところでした....
本格的に寒くなる前のお墓参りの日「送寒衣」。
旧暦(農暦)十月一日がその日です。

日本ではお墓参りというと、春秋の彼岸とお盆ですが、
中国では、清明、中元、送寒衣....

清明は、二十四節季の清明の日
中元は、旧暦の七月十五日
(日本でお盆となっている日です)
... そして寒衣節... 「送寒衣」の日です。
(現在、お墓参りの日、といわれているのは、清明、中元だけになっていますが)


送寒衣... 言ってみたら、ご先祖様に冬用の衣類を送る日です。
紙で作った衣類やら、冥府用のお金やら....を焼いてご先祖様に供えます。



そしてこの日が過ぎると、日一日と寒くなっていきます。

ご参考
→ 燕京歳時記 十月一
→ 北京民間生活彩図:焼包袱図(包みを焼く図)

臘八醋(十二月八日の醋漬のニンニク)

農暦(旧暦)の十二月八日にはニンニクを酢につける習慣があります。
きれいに洗って、皮をむいて、大きなビンに入れ、米酢を入れてふたをしておき、大晦日の晩に、餃子のあてに食べるのです。ニンニクは、色が青緑です。酢の影響でニンニクがその色に変わるのですが、きれいな色がついたときはうれしいものです。ニンニクはそれほど辛くもなく、餃子のあてにするのにちょうどよいのだそうです。(実はぽんずはナマのニンニクが苦手なので...伝聞調です)
写真は、「臘八蒜」。
写真よりも実物はもっときれいな色です。


ニンニク以外に酢は、餃子をつけて食べます。もともと中国では餃子は酢で食べます。日本のように醤油と酢と...という調味料を使いません。一般には「香醋」という酢を使いますが、最近では「餃子醋」というものも売られています。さて、大晦日にはその香醋ではなく、「臘八醋」に餃子を付けて食べます。酸味のなかにニンニクの辛さが程よくきいていてとてもおいしいものです。

はてさてこの「臘八醋」ですが、最近は臘八に作るとニンニクが漬かり過ぎるという現象が起きています。というのは昔、暖房も余りなかったころだからこそ十二月八日に漬ければ大晦日には兆度良いニンニクの酢漬けができたのです。ところがこのごろでは室内の温度が高くなり、早く漬かってしまうようになりました。そのため、李華さんはもうちょっと遅くニンニクをつけるといっていました。

その実、ドレッシング用に私もニンニクの醋漬を常備しているのですが、あっという間においしい「ガーリックビネガー」が出来ます。皆さんもお試しください。

数九とは、簡単に言うと、九数えるということです。冬至から九九八十一日間のことをいいます。
最初の九日を「一九(イージュゥ)」、次の九日を「二九(アルジュゥ)」というように呼び、最後の九日を「九九(ジュゥジュゥ)」といいます。そしてこの81日間が過ぎることを「出九(チュゥジュゥ)」といいます。

この期間を歌った数え歌があり、その歌を歌って、春を待ち焦がれていたことがよくわかります。

一九二九不算九、三九四九凍死猫狗。
五九六九楊花看、七九開河、八九雁来。
九九八十一家裏作飯地裏吃。

一九、二九はまだ数九とは言えない。三九、四九で犬猫が寒くて死ぬ。
五九、六九で、柳が芽吹き、七九河が開いて、八九で雁が来る。
九九八十一で家で飯を作り、畑で食べる。



一九二九不出手、三九四九冰上走。
五九六九河辺看柳、七九開河、八九燕来。
九九加一九耕牛編地走。

一九、二九は手が出せない、三九、四九で氷の上が歩ける。
五九、六九には川辺で柳が見れて、七九で河が開き、八九に燕が来る。
九九にもう九日足したら、牛があちこち耕している。


この種の唄ですが、ここには二つ上げましたが、違った歌詞のものがいくつもあるようです。

さて、この季節の習慣ですが、冬至の午前中には「ワンタン」を食べるのだそうです。ワンタンは天地が混沌としている状態の象徴だそうで、天地が分かれたのが冬至だという言い伝えによるといわれています。

また、夜には鍋物を食べるのだそうです。一九、二九……八九、九九の初日と81日目には鍋物を食べる習慣があって、毎回違った鍋をつついていたようです。ただ、一九と81日目は決まりがあり、一九である冬至は羊のしゃぶしゃぶ、そして81日目は一品鍋を食べることになっていたそうです。

またこの期間、「消寒図」を描くという習慣がありますが、こちらは別途紹介していますので、そちらをご覧ください。

冬至から九九八十一日が過ぎると啓蟄が過ぎたころで、間もなく春分です。

参考:消寒図
北京の冬は寒さが厳しいので、人々は春を待ち焦がれます。当時から九九八十一日を指折り数え(「数九」といいます)、昔の人は春を待ちました。その春を思う心が、こんな風流な遊びを生みました。

「亭前垂柳珍重待春風(ていぜんのたれやなぎ、ちんじゅうにはるかぜをまつ)」という春を待ち望む一句を冬至から毎日一画ずつ書いていくのです。九文字はすべて9画の漢字です。「垂」は 右の図のように書いてください。そうしないと9画になりません。


写真は故宮に残る清朝の道光皇帝の筆によるものです。

女性用には九枚の花弁の花が九輪の絵が用いられました。毎朝のお化粧のあと、紅の残りで花弁を1枚1枚染めたのだそうです。



そのように、人々は春を待ち焦がれるという風流な習慣があります。

これ以外にも、いろいろな消寒図があるので、機会があったらご紹介したいと思います。

関連項目:数九
梅の「消寒図」は斉魯膳芸ネット
から
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