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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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夏の氷

中国において夏、氷を使用する歴史は古く、清朝においても冬の間に氷を保存しておくのはひとつの決まりでした。

明の時代では立夏の日に大臣へのご下賜があったといいます。また清の時代には三伏の始まり初伏から立秋の間に役人たちに氷のご下賜があり、チケット制で氷を受け取ったそうです。もちろん階級によりその量は違いました。

冬の間に保存された氷は、大きな塊は商店に降ろされ、小さなものは町を売り歩く小商いに卸されました。氷売りは銅の杯を二つ合わせて鳴らしながら歩 き、氷を買ったそうです。子供たちも小さな氷のかけらを買い求め口に含んでしばし暑さをしのぎました。

冬、北海、什刹海(シィチャァハイ)で氷をとり、近くの氷倉で貯蔵したといいます。かつては什刹海の近くで冷たい空気が流れているところがあり、 それを感じることができたそうです。そしてその奥には氷倉の入り口があったのだそうです。


町の氷売り(中国電影出版社「舊京風情」より)
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頭伏餃子、二伏麺、三伏烙餅攤鶏蛋

日本では夏、土用の丑の日にうなぎを食べる習慣がありますが、北京では一年で一番暑い時期の「三伏」には「頭伏餃子、二伏麺、三伏烙餅攤鶏蛋」といい、三伏の最初の初伏(ここでは頭伏)に餃子、中伏(ここでは二伏)には麺、末伏(三伏)には卵入りの烙餅という中華風クレープはを食べます。

暑いのに、なぜ餃子に、麺か...。(ちなみに北京ではゆでた餃子「水餃」が一般的です)。この時期はちょうど小麦の収穫期で、新しい小麦が手に入ります。体から大汗をかいて、初物を食べて邪気を払うという意味合いがあるようです。

末伏には中華風クレープの烙餅を食べますが、このころになると、ようやく炊事も楽になってくるので、家で、卵入りの烙餅を焼いて食べます。

日本の暑気払いに比べて質素ですが、お肉などは”上火”、漢方医学でいうところの”のぼせ”の状態になり体調を崩しやすくなるので、夏の暑い時期には避けるようです。

この言葉ですが、以前、「初伏、餃子、中伏、麺、末伏、烙餅炒鶏蛋」だと思っていました。北京の人にそう教えてもらったのですが、私の記憶違いでしょうね... (^^ゞ。

ちなみに今年2012年の三伏の日程は
初伏:7月18日-7月27日
中伏:7月28日-8月6日
末伏:8月7日-8月16日

です。

参考
三伏
夏の飲み物?食べ物?暑気払いの緑豆湯

暑さよけの飲み物はなんといっても緑豆湯。緑豆を煮た、いってみればお汁粉の汁のようなもの。冷やさずに飲んだり、冷やして飲んだり。現在でも暑気払いの代表的な飲み物で、暑いときになると、交通整理の警官や、警備の兵士たちに振舞われます。

夏至を過ぎると、大棚の商店や薬屋、そして参拝客の多い寺院などでは店や門前に緑豆湯の 鍋や壷をおいて人々に無料で振舞いました。これは「捨暑湯」といわれました。場所によっては 幌で覆った場所を準備して人々に緑豆湯を喜捨しました。しかしこういったものは1930年代で見られなくなりました。

なぜ、緑豆なのか不思議だったのですが、緑豆には清熱解毒作用、利尿利水作用があるのだそうです。ですから夏に温かい緑豆湯を飲むのは、汗をかくためと、内臓を冷やさないためのようです。

ある暑い日に、住まいのアパートの警備員さんたちがなべを囲んでいるので近寄ってたずねると、「緑豆湯だよ。暑気払いにいいから飲んでみる?」とのこと。そういう警備員さんたち、みんな20才そこそこ。それでも冷たいものなど飲まずに温かい「緑豆湯」を暑気払いに飲んでいたのが印象的でした。一言で言うと、丁度甘くないお汁粉の汁。体が温まり、外気の熱さが忘れられる、そんな暑気払いの飲み物です。
三伏(さんぷく サンフゥ) 

「夏至三庚便数伏」と中国語ではいい、夏至を基準に「伏」を数えます。
夏至のあとの3回目の「庚(かのえ)」の日が「初伏」。
そして4回目の「庚」の日が「中伏」、6回目の「庚」が「末伏」となります。

この「三伏」が一年間でももっとも暑い日といわれています。2012年の今年は、夏至が 6月21日で、初伏が7月18日、中伏が7月28日、末伏が8月17日になります。ということは、7月18日から8月17日のあいだが一番暑い時期ということになります。

夏至から初伏までの日数は毎年違っています。21日から30日の間です。ですから、夏至から暑さの過ぎる末伏までは少なくとも51日あり、立秋を過ぎるまで暑さは残るということになります。「秋後有一伏(秋の後に一伏あり)」という言葉がそのことを表しています。
晴娘の伝説

昔、北京に晴娘という賢く、手先が器用な娘がいました。
晴娘は切り紙が得意で、彼女の評判は各地に知れ渡り、後宮のお后様にまでその名は聞き及び、内親王方も人をやって晴娘が作った切り紙を買わせるほどでした。

ある年の六月、大雨が降り続き、何日も晴れず、北京の城下には3尺もの水があふれました。
人々は香を焚き、頭を打ちつけ天に無事を祈りましたが、なんの効き目がありませんでした。

ある夜遅く、晴娘は崩れ落ちそうな屋根の上にすわり、神様に無事を祈っていました。
そのとき突然、
「東海竜王からお前を王太子の妃にとの思し召しだ。
 逆らえば、北京を水没させることになる」
という言葉が響きわたりました。

晴娘はみんなを救うために、天命を受けることを伝えると、一陣の強風が巻き起こり、晴娘の姿は消え、空は晴れ渡りました。

この後、人々は晴娘をしのび、お天気の悪い日が続くと、娘たちに紙を人型に切らせ、それを門に掛けるようになりました。
これが「掛掃晴娘(グワサオチンニァン)」...掃晴娘を掛ける習慣... の由来です。

北京傳統文化便覧・北京燕山出版社(1992年)より
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