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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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連中三元

中国の科挙という、官吏登用試験なるものは、かなり過酷な試験でした。試験も、三日二晩晩缶詰状態で受けます。詳しいことは別の機会に...ということにしましょう。
さて、その科挙の試験ですが、簡単に言うと、郷試、会試、殿試に分かれています。郷試:地方試験 会試:全国試験 殿試:皇帝による最終試験  といったところでしょうか。この試験のそれぞれの首席合格者を解元、会元、状元、あわせて三元といいます。そして三元をとることを「連中三元」「三元及第」とい います。なんといっても、男の子が生まれたら、将来は「連中三元」とはいかずとも、なんとか科挙には合格して欲しいもの...

それはさておき、長い歴史の中には、 連中三元を果たした人が、なんと13人もいたそうです。唐代から清代まで、計596人の状元がいるそうですが、その中の13人だけが連中三元だとのこと。(12人、14人の説あり)
それで調べてみると、時代別に... 唐代:4人、宋代:7人、遼代:1人、金代:1人、元代:1人、明代:2人 清代:2人という数字が紹介されていました。この資料では18人... 
ちなみに清の時代は試験が112回行われ、状元114人(ダブル合格があったのか?)だそうですが、連中三元はたった二人。
乾隆四十六年辛丑科(1781)の江蘇省蘇州府長洲県の銭棨、
嘉慶二十五年庚辰科(1820)広西省桂林府臨桂県の陳継昌
がそうですが、陳継昌は最後の連中三元となりました。




おまけ 歴代の連中三元 (いろいろありますが、手元の資料による)

唐代:崔元翰、武翊黃、張又新、白敏中
宋代:陳堯叟、孫何、王曽、王岩叟、楊窒、馮京、彭汝礪
遼代:王棠
金代:孟宗獻
元代:王宗哲
明代:許観、商駱
清代:銭棨、陳継昌

ちなみに清に戴衢亨という名前もあったのですが、戴衢亨は最年少状元ということですが、連中三元ではないようです。

資料によっては、唐代が二人になっていたり、遼代が加わっていなかったり... どの資料がなんなのか、よくわかりませんでした... (ーー;)
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