忍者ブログ
燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
 1 |  2 |  3 |
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「球蹴り」(燕京歳時記)

十月ごろから、貧しい家の子供たちは石を磨いて球にして、足で蹴って遊ぶ。相互に石球を蹴りあい、勝負を決める。都は寒さが厳しく、足の指が凍えるので、子供たちは球蹴り遊びをして、足先の血行をよくしている。これは球蹴りの一種といえよう。

『日下旧聞考』をみると
球蹴りは、金、元に始まったもので、今日始まったものではない。

とある。

PR
毎年十月になると市場にはきからすうり、姫ダイダイなどが出てくる。きからすうりは、つるになるもので、形はまくわ瓜ににているが小ぶり、初冬に赤くなり、とてもやわらかく手ごろだ。姫ダイダイは小ナスすのようで、いろは赤珊瑚のようだ。丸く、色艶がよい。女子供が好むので姫ダイダイのながある。海棠の実は大きなものは6cmほど、青色で黄色ではない。南方のカリンに比べると香りが強烈だ。マルメロはかんきつ類のようだが実が硬い。カリンに似ているが毛が生えている。衣類に香りを移せば一ヶ月は香りがもつ。これらはこの季節の産物だ。

走馬灯は、紙を切って輪にして、蝋燭の熱でこれを動かすと、描かれた馬や車は、ぐるぐると休まず駆け巡る。蝋燭が消えるとそれは止まってしまう。これはたいしたものではないのだが、成敗興衰の道理にとてもかなっている。古来二十四史の中に書かれていることも、走馬灯の如しといえよう。

走馬灯以外には、車灯、羊灯、獅子灯、刺繍球灯、といったものがある。毎年十月には前門、後門、東四牌楼、西四牌楼などの場所でそれらを見かける。子供をつれてゆき、喜び勇んでそれを買い求めるのも、楽しみの一つだ。

走馬灯の作られ方は、火力で輪を回すもので、現在の汽船や汽車の理屈である。これを推し進め、精密にしたら、数百年の間に、精密な機械ができたのである。惜しむべきことはわが国では精密な機械を作ることを戒めていたので、このようなものを作る者は子供の戯れ事と同一視されていた。今日、人と同じ事をして、神にばかり頼り、おろかにすごしていたなら、世の中の才能はかの地に多く、わが国に少ないということになってしまう。自らたたないからだ。

------------------------------------------------------------------
訳注:

二十四史: 史記に始まる中国の正史。清史稿を合わせて、二十五史ともいいます。この時代は清の時代なので明史までなので二十四史です。

凧、けり羽根、ガラスのラッパ、ポッペン(ビードロ)、うちわ太鼓、唐こま

子供が遊ぶ玩具も季節によって変化する。
都では十月になると凧やけり羽根などが見うけられるようになる。
凧は、竹を縛って骨にして、紙を貼って作ったもので、鶴や孔雀、雁、虎などの形で、巧妙な絵付けがしてある。子供達はこれを空に揚げ、目を楽しませてくれる。いろいろな鳴り物をつけたものは抑揚のある音を出すが、これまた聞くに値する。だから凧を風筝(かざごと)という。
けり羽根は、丸く切った皮で銅銭を包み、鷲の羽を上につけ皮ひもで縛ったもの。子供達はこれを蹴って遊ぶ。足の血行がよくなり、寒くなくなる。
ガラスのラッパは、口の形は盃のようで、柄の長さは60~90cmもある。ポッペンはひょうたん型で、柄の長さは長短さまざま。これらは琉璃廠で作られている。子供達は、息を吐いたり吸ったりして音を出し遊ぶ。新鮮な空気を吸うによい遊びである。うちわ太鼓は、鉄製の縁にロバの皮を張ったもので、うちわのような形をしている。柄の下の部分にも鉄の輪がついている。子供達は集まって藤の撥でこれをならして遊ぶが、太鼓の音はどんどん、鉄の輪はちゃりんちゃりんと、太鼓がなると鉄の輪もなる。これは新年を迎える太鼓だ。唐こまは車輪の形をしていて、間に短い軸がある。紐でつないだ二本の棒をもってコマを揺り動かし遊ぶ。そのとき空の上から朝の鐘音が聞こえてくるような音を出す。



『日下旧聞考』をみると
凧は、韓信が初めて作ったものと古くから伝えられている。五代の漢の末期に李業が隠帝のために凧を作り、宮門のそとで揚げたという話もある。羽根は、蹴り羽根で、鉛や錫で銭の形の錘を作り、鶏の羽の飾りをつけたもの。子供達は群れをなしてこれで遊ぶ。さまざまな蹴り方があり、それは蹴鞠の伝統を受け継いでいる。

とある。
ガラスラッパについては記載がない。
ポッペンについては、
鳴り物の一種で、鳴りひょうたん、ガラスラッパとも言われている。小さいものは10cmほど、大きいものは直径1mほど、色は紫が多い。子供たちは口にくわえて、息を吸ったりはいたりして音を出す。

とある。

また、『帝京景物略』には
元日の夕方、子供たちは太鼓を打ち鳴らし、それは明け方まで続く。これをうちわ太鼓という。

とある。
今でも十月になるとこれを見かけるが、必ずしも元日の夕方に打つというわけではない。うちわ太鼓を、羯鼓(かっこ)とも言ったりするが、それは間違いだ。羯鼓は今日芝居で使っている太鼓のことで、二本の撥を使って打つものだ。これについては古の唐の詩人の詩には「頭は青山の峰の如く、手は白雨の点(しずく)ごとし」と詠まれている。一本の撥で打つとすれば、このように細かく打つことができるだろうか。だからこの二つは別物なのだ。
唐こまについては記載がない。


十月、お上から新しい暦が配られると、各書店は暦を売りに出す。
巷でも背負子に暦を詰め売り歩く姿が見られる。

Copyright ©  燕京雑考@ブログ版  All Rights Reserved.
*Material by Pearl Box  * Template by tsukika
忍者ブログ [PR]
Admin ♥ Write ♥ Res
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリー
プロフィール
HN:
ぽんず
HP:
性別:
女性
ブログ内検索
カウンター
アクセスカウンター
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
バーコード
忍者アナライズ