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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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「芝居納め(封台)」(燕京歳時記)

官庁の仕事納めの後、宮廷の劇場も日を決めて舞台納めをする。
この日には都の八つの劇団が共演して芝居納めとする。
明くる年の元旦に『天官賜福』という芝居で舞台を再開する。
天下太平を歌っているからだ。

都の芝居についていってみれば、さまざまな流行がある。
咸豊(1851-1861)以前は南方調や北方調が流行った。
北方調は鐘や太鼓の伴奏はあるが、管弦の伴奏がつかない。
曲は哀愁を帯びた種類のもので、燕国の地方、すなわち河北に古くから伝わるものだ。
咸豊以後はもっぱら湖北の田舎芝居風が流行、最近では山西調が流行っている。
山西調は俗に、拍子木調といわれている。

劇場は内城にはなく、外城にあるだけだ。
八旗の兵士達が享楽にふけるを避けるためだ。

芝居のほかには、人形劇、影絵芝居、八角太鼓語り、道化物、俗曲、雑技、力自慢、声真似、太鼓語り、講談などがある。
くぐつとは、人形のことだ。またの名前を「大台宮劇」ともいう。
影絵芝居は灯を使って影を作って芝居を演じる。哀愁を帯びたものがおおく、年配の女性らが見ながら涙を流していることが多い。
八角太鼓語りは身分の低い人たちが数人で、胡弓などを弾いたり、歌を歌ったり、また冗談をとばしたり、人を笑わせるには一番だ。
道化物には、女形(おやま)、道化があり、芝居との違いは立ち役がないことだ。歌にはまとい絡まるようななまめかしさの特別な調子があっある。咸豊同治時代以前には、とても流行ったが、現在ではすでに廃れてしまった。
謡は調子がとても落ちついていて、歌詞も優雅だ。雑技と力自慢は手品と武技の類のこと。
声真似は、口技で、いろいろな鳥の鳴き声を真似たり、いろいろな調子の歌を披露したりする。喜怒哀楽、すべてを一人で演じ分ける。聞けばすばらしい技だということがわかる。
太鼓語りや講談は人の心を惹きつけることがおおい。太鼓語りは恋愛を題材にしたものが多いから、婦女子が真似て歌ったりするのは良くないことだ。講談は、講談師が手のひらをたたいたりするだけで、特に何の伴奏もない。そして豪傑や命知らずの者たちの活躍が生き生きと語られる。人々はこれを聞き、悪い道に入ってしまうものもいるので、世間のご意見番といわれる人達の中には講談を取り締まらせようとしている人達もいる。

---訳注---

読むと日本の伝統芸能にも似たところが多くあります。
機会を見つけて、少しずつ紹介したいです。
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「仕事納め(封印)」(燕京歳時記)

毎年十二月の十九、二十、二十一、二十二日の四日の間で、天文気象に携わる欽天監が決めた吉日に、官庁の封印が行われる。
これは全国に布告され、いっせいに行われる。各官庁の印を取り扱う役人はこの日、必ず同僚を招いて、楽しく賑やかに酒を飲み、一年の労に酬いる。
そのため封印が終わると人々はみな宴会に出かける。このとき前門あたりの人出は日頃では考えられないものだ。大小の料理屋はみな大混雑となる。

封印の後は乞食やならず者の輩が町でかっぱらいなどをなんら気兼ねもせずするが、それは警察を含めた役所が仕事を行わないからだ。これは悪習といっていいだろう。

---訳注---

仕事納めの宴会は、忘年会といったところでしょうか...
古今東西、変わらぬ習慣... ですね。
「鹿の褒賞」(燕京歳時記)

毎年十二月に朝廷では諸王大臣らに、鹿を分け与えた。
その時期になると内務府から通知があり、自ら受け取りに出向いた。
三品以下はこれに預らなかった。


----訳注---

高級官僚のみのボーナスというところでしょうか。

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