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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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2012年6月6日は21世紀最後の金星の太陽面通過の日です。
それを意識して本を見ていたのではないのですが、
なんと清朝末期に金星の太陽面通過を観測している絵が出てきました。



これは清末に発行されていた、写真週刊誌ならなぬ、月3回(六の日)に発行されていた絵入り新聞「点石斎画報」です。
その光緒十二年十一月六日発行の記事に「占験天文」という記事があり、
これを読んでみると

京師同文館の天文学部が予測したところによると、光緒十二年十月八日午後三時に金星の太陽面通過があるとわかり
役所に高台を設け、観測機器を設置、教官が学生を引率、大臣らを招いて観測した

とありました。

写真の高い塔が、設置した高台で、高台の上に望遠鏡が3台置かれています。
望遠鏡を覗いている黒い洋装の人と、もう一人背の高い洋装の人が教官でしょう。
京師同文館は外交を担当する役所である総理各国事務衙門の管轄化にあり、
ヨーロッパ言語を学ぶのを目的として設立され、その後、語学以外の学問も学べるようになりました。
中国の官服を着た恰幅の良い人は大臣でしょう。
もうひとり背中を向けている人は高級官僚でしょうか....
端に入る二人は学生のように見えます。
そして太陽の左下横に小さく金星が....

すごいなぁ.... 100年以上前の金星太陽面通過の観測の絵だ!!!

と感激しましたのですが、
ふと、「点石斎画報」だからなぁ....あやしいよなぁ.... と思い
光緒十二年十月八日を新旧換算したところ1886年11月3日。
え???11月?12月じゃないっておかしいじゃない...
そうなんです。先日金星の太陽面通過について調べたとき、
6月か12月にしか起きないんだ.... と感心したのでした。
再チェックしてみたところ、前回は2004年6月8日で、その前は1882年12月6日。
1882年12月6日って? 光緒八年十月二十六日....
ってことは、「点石斎画報」はまだ創刊前じゃない... (創刊は光緒十年1884年)
ほとんど?が眉唾物の記事だ!ということを再確認いたしました。

でも、記事の中に「星の太陽面通過」と書いてあるし、
その観測の図となんだから.... とご紹介することにします。
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