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燕京雑考@ブログ版
中国・北京の歴史、風習を紹介。一日一つを目指します。
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これが私の持っているものの中で、一番古いものかもしれません。(古銭だったら紀元前後の物を持っていますが)
銅鏡は鏡です(あたりまえですが)。でも長い間磨かれていなかったので光っていませんし、私の顔も映しません。
歴史の資料集になど載っている銅鏡の写真も光っているものはもちろんなくて、
銅鏡の鏡面はどうなっているのかずっと不思議に思っていました。

双魚銅鏡


あるとき、中国の唐だったか、宋だったかの伝奇集をよんでいて、
ある物語で、鏡を磨く商売をしている若者に出会いました。
そういう商売があって、頻繁に磨かなくてはいけないのだ... と納得。
それも結構まめに磨かなくてはいけないと知りました。
昔はそういう人に頼んで鏡は磨いてもらっていたようです。
しかし、現在そのような商売の人はいないので、私はこの鏡を文鎮として使っています。

金の時代の出土品の銅鏡を文鎮として使っているなんてちょっと罰当たりかもしれませんが、(くださった恩師が知ったら気を悪くなさるかも(-_-;))、ただの飾りより、今でも実用にしているほうが、ものに対しては失礼がないのではと思っているところです。

銅鏡:双魚銅鏡 金代(1115-1234)のもので出土品

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ちょっとぼやけてはっきりしないのですが、写真は、子供達の新しい学校の校舎に飾ってある、昔の箱馬車です。新しい学校の下見に出かけたときに息子が撮ってきた写真です。

もちろん、これは私の持っている骨董品ではなく、私のであった骨董品です。


そうそう、ちょっと前に、区画整理で建物を取り壊したとき、近所でこの箱馬車が出てきたのよ。昔はこんな箱馬車に乗って出かけたらしいわね。


映画会社に売れば金になるんじゃない?って近所の人達皆で話したのよ。


そう言ったのは、いつも登場願うぽんず家のお手伝いさんの李華さん。


さて、この箱馬車ですが、いったいどう言うものでしょうか。



中国語で書くと「轎車」とかくのですが、「轎」とは籠のこと。馬に引かせたお籠というのが文字通りの意味です。箱馬車というよりも、馬に引かせた「牛車」というほうが日本人のイメージにあうかもしれません。というのはかつてはお役人たちの乗り物で、その車を見れば、どの官位の人が乗っているかがわかったといいます。


一般の人が箱馬車に乗れるようになったのは、それまでの階級社会が壊れた辛亥革命以后。つまり清朝がなくなってからのことでした。お金持ちの家では自家用があり、そして現在のタクシーのようなものもあったといいます。



この箱馬車は主に、遠出に使われました。近場では人力車が活躍していた時代です。地主が郊外の地所に小作料を取り立てに行くようなときになど、お金持ちの自家用箱馬車が用いられました。貸し出しの箱馬車は冠婚葬祭、嫁とりや、霊柩車としての用途が多かったようです。


この箱馬車、乗りやすいものではなかったようで、すぐに様式のものに取って代わられます。というのも車の中では座らねばならなかったからです。


実物がをご覧になりたい方。子供がインターナショナルスクールにいないとがっかりなさらないでください。北京のケンピンスキーホテルに飾ってあります。エレベーターを過ぎて、左側。中華料理のレストランの前に置かれていますので、ぜひご覧ください。



2001/12/25
改稿2011年07/11

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